こんなところを見ている人なんていないと思いますが、それでも敢えて。
お久しぶりです。皆さん。
相変わらず仕事は忙しく、肉体的にも精神的にも荒波の渦中におり、何とも抜け出せない毎日を過ごしております。具体的には明言はしません。すると齢30のくせに何グチグチ言ってんだ、と言われそうですから…。
もともと仕事ジャンキーなところもありますので、20代は、やることなすこと全てを吸収する! という意気込みで仕事をしてきまして。酸いも甘いも、得意も苦手も、この身に刻み込んできたつもりです。まだまだ不勉強なところもありますが。
そこでようやく手に入れた、自分を築く上での『軸』。しかし今、その『軸』に対し、使い方やその威力を学び、これからはその『使い道』を学ぶ転機になってきた、と考えています。
吸収するだけの時期はもう終わりを告げた。他にも色々とやりたいこと、吸収したいことはあるけれど、これからは、その吸収したことの使い道を探さなくては。
早いに越したことは無いけれど、自分を壊してまで性急な答えは見つけたくない。まだまだもがき苦しむ時期は続きますが、精一杯、力の『使い道』を探していこうと思います。
さて。
僕は今、お金と時間が許す限りですが、日本全国津々浦々を歩き回っています。そして、行きついた先の写真をパシャパシャと撮っています。
最初は、その土地に行ったという備忘録的な意味合いで写真撮影を行っていましたが、その過程で、ある想いが芽生えました。
「今目にしている光景の美しさは、数十年後も同じ姿のままなのか?」
『地球環境保護』とか『文化遺産保護』といえば聞こえはいいですが、あまりそこまでおこがましく、仰々しくは考えていません。ただ単に、数十年後に再度訪れた時も、同じ美しさのままそこにあるのか、という思いです。
その時の環境や情勢によって、そこにあるものは、時代に即して変わっていくのは世の常だと思います。環境を保護しよう、遺産を守っていこう、という趣旨はもちろん大事だと思いますが、今の、そして未来の生活を犠牲にしてまで環境や遺産を守ることが大事とは思わない。大切なのは今であり、未来である。そのために、環境や文化遺産を破壊する、捨てるということも、一つの選択肢であると考えています。
僕が写真に収めているのは、写真に収めた『まさにその時』の姿を切り取ったもの。これを残すか、はたまた変えるか、それは今を、これからを生きる人達の選択。
美しい、残したいと考えれば残せばいい。不便だ、変えたいと思えば変えればいい。しかし、残すも変えるも、相応のリスクを見返りが必要になる。
時には、自分が思い描いた未来そのものを代償にするような事態にも。
自分も含め、それを考えるきっかけになれたら、と思っています。
基本的に僕はアマチュアでも何でもなく、ただの趣味で撮影している下手くそ極まりない上に、これまで薄学のままで修正を施しちゃったりしていますが、よろしければ是非、ご覧ください。
Picasa Web Album
Panoramio - Photo
内容の面白さはもちろんだし、ようやく自分に合った、仕事という『武器』を手に入れた。それまでお客さんとの対話も、客観的に見てみればどこかぎこちなかったのは、それまで自分の手にした仕事という『武器』に、自信が持てなかったから。強力だったのに、上手く振りかざせていなかったから。そういう『武器』を手に入れ、使いこなすことができた瞬間、その『武器』そのものはもちろん、それを使いこなせるということにも誇りを感じています。同時に、その『武器』の恐ろしさも十分に承知の上で。
さらに僕を変えたのは、その『武器』を分かち合える仲間ができたこと。それまではほぼ僕一人だった。傍らで誰かがいても、特に『武器』を共有するには至らなかった。一人でいることに慣れすぎてしまっていても、強大な『武器』を一人で何年も抱え続けるには、少々重すぎたのかもしれません。だからこそ、ようやく出来た仲間の存在は、僕にとって大切なものであり、僕の可能な限りのところで、大切にしていきたいと思います。
けれど、それまでの日々をなくしてしまうかもしれないくらいの、難局に差し迫っています。それというのも、僕の立場、というより、立ち位置の問題で。
二つの組織の狭間で、今、もがきにもがいています。
自分の出来る範囲に、出来る限りのところで、何とかしようと思っている。自分の力ではどうにもならないことはこれまでにも何回かあり、その都度、諦めてきたこともある。でも、時には諦めてしまいたくないこともある。それまで得たものが大切だと思えば思うほど。
翻って考えれば、それは僕の我が侭なのですが、その我が侭が、かえって他の人を不幸にするかもしれない。そう考えてしまえばしまうほど、自分の中に毒物が溜まり、身体中を駆け巡るかのように苦しむ。
今まさに、見えない壁に四方八方を塞がれて、どうにもならない箱の中にいる、というような感じです。得たいものが目の前にあるのに、決して手に届かない。その壁を破壊する方法はあるけれど、破壊そのものが誰かを不幸にするかもしれない。
だからといって、「自分だけが犠牲に」という考えは持ち合わせていません。もしそうだとしたら、多分それは、自分にとっての本当の望みではないから。
そんなわけで、この数ヶ月間、取り外せない、壊せない壁にもがきながら生きています。多分、しばらくは続くでしょう。それにより、体調も崩しがちで、毎日吐き気を催すような気持ち悪さにとらわれながら、それでも前向きに生きようと思っています。
思うとおりに、すべきことを、したい通りに、する。
そう心の中で念じようとも、時には自分の力だけではどうしようもない挫折感に陥る時もあるのですね……
前は、週に2回とか3回とか映画を鑑賞していた時もありましたが、今はかなり回数を減らしています。たとえ鑑賞したとしても、ブログに書く回数も減らすと思います。
ただ、自殺も暴挙も全く考えていませんので、そこはご安心を(つーか、誰も心配してない orz)。
これまでの自分の活動を抑え、結構ハイスピードで駆け巡るように生きてきたので、ここで少々ペースダウンしていこうと思います。もがくのにも、エネルギーが必要ですからね。
列を組んで登校する小学生。自転車に乗ったり、友達同士でおしゃべりをしながら登校する中学生。
そんな子供達の登校と同時に、駅へ向かうスーツ姿のビジネスマン。
ジャージ姿やウィンドブレーカー姿で、ジョギングに励む人。犬の散歩をする人。
閑静な住宅街も、朝はそれなりの賑わいをみせます。
そんな爽やかな空気を一気に引き裂くように鳴り響く、
防犯ブザー。
何かあったのかと振り向くも、こんな人通りが多い時間に何かが発生する可能性は極めて低く、予想通り、防犯ブザーを手にした小学生のイタズラでした。
何も起きていないのに鳴り響く防犯ブザー。それを実行する子供も子供で問題がありますが、それと同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に問題かもしれないのが、先ほどの僕と同じように、『予想通り』と思うこと。防犯ブザーが鳴り響いた時、他にも大人たちがいたのですが、誰一人として振り向かないの! 多分、皆さんも『予想通り』と思っているに違いありません。
そんなことが続けばどうなるか。
もし、本当に『万が一』のことが発生した場合、防犯ブザーを鳴らしても、それを聞いた大人たちは「予想通り、子供のイタズラだろう」とやり過ごしてしまう。
もはや、『防犯』の意味を成さなくなってしまうと思うのです。
こんなところを見ている子供なんていないと思いますが、それでも一言。
どうか、大人たちに『予想通り』と思わせないでください。防犯ブザーは、イタズラに使うものじゃない。貴方達の、身の安全を守るための道具なのですから。
さようなら、20台。
こんにちは。30台(大泣)。
30歳になったところで何かが突然変わる、というわけでもなく、やはり30歳になっても相変わらず、誕生日はセルフ・プロデュース。まぁ自由気ままでいいですけれど、そろそろ寂しさが身に沁みる今日この頃でございます。。。
基本的に急激な変化が苦手で、少しずつ変わっていこうとするも、その速度は相変わらず蝸牛のごとく。それでも、時間というのは容赦なく過ぎていくもので、少しでも30代になるのが自分にとって前へ進む意義となるようにしていこうと思います。たとえそれがセルフ・プロデュースであっても(泣)。
誕生日を迎える少し前ですが、骨髄バンクに登録しました。
それまでは、骨髄バンクの登録って、何となく自分をかっこつけているような意識があったのですが、いざ骨髄バンクの登録カードを持ってみると、如何に自分の出来ることが限られているかってわかりますね。たった一枚のカードですが、そんな重みを感じます。
それと、僕の現場人間の身体であるからこそ、少しでも自分の身体に何かを刻み込んでいきたいと思います。マゾの意味ではなくて。それなりにお金も貯めてきたこともありますし。バックパッカーをやってみたりとか。でも今の仕事は好きなので、暫くは無理ですけれど。
まぁそんなこんなで、今も昔と変わらずボチボチやっています。少しずつ、自分を変えていきながら。
昔から人並み以上に不器用で短期記憶能力に欠けている僕が、これまでにも何とか助かっている要素の一つが、『身体で記憶している』こと。理論を読んでそのまま自分の糧にするのが大の苦手、というか不可能に近い。だから、頭で覚えるより自分の身体に刻み込むように覚える方が、文字通り身に沁みるし、忘れずに後々まで自分の中で昇華することが出来ます。
そう思うと、やっぱり僕は机の上に踏ん反りがえってあれやこれやと指示を出すようなキャリア組みにはなれないな、と。這い蹲るように仕事場を駆け巡って、身体で仕事を身に刻み込む現場人間なんだな、と感じるわけです。
とか言いつつも、これまでにも何度も、器用にものを覚え、上手く仕事を自分なり他者なりに配分する人を、羨ましいと思いもしましたが。だからといって今の自分の気質を否定する気はさらさらなく、現場人間であれば現場人間ならではの自分自身を磨き上げていく必要がありますし。
ちなみに。
何故今更ながらにこんなことを書いたのかというと、自分がこういう人間でこれからもこうありたい、ということを確認するための記録、というのは建て前。
本音は、試験勉強がなかなか出来ないのは自分の気質が~~だからという、ある意味言い訳的な部分です。オチはそこです。