戦後60年。
戦争を体験した人が死亡、もしくは高齢化が進み、徐々に戦争の『生の体験』が薄れつつあります。
あのような体験は二度としたくない、そして子孫にさせたくない、そんな想いで、体験者は後世に語り残そうとしています。
語り継がれるのは、戦争を知らない僕たち。
しかし、どんなに語られても、全てを継ぐことは難しい。
戦争が奪った、数々の命。思い出。
戦争が残した、多くの惨劇。
この辛さや苦しみは、戦争を体験した人にしか分からない。
『戦争を知らない者』が『戦争の恐怖』を語っても、あまり実感が湧かない。
もしかしたら、風化してしまうかもしれない。
それでも、戦争を体験した人は、語ることをあきらめない。
二度と、同じ過ちを繰り返さないために。
それが、今生きている僕たちの役目なのですから、真剣に耳を傾けなくてはいけませんね。
たとえ、全てを語り継ぐことができなくても、語り継ぐことを止めてしまえば、また悲劇が繰り返されるのですから。
今日本には、戦争を今に伝える資料館が数多くあります。
ヒロシマの平和記念資料館が、その最たる例です。
これらは、『過去にこんなことがあった』ということを示す以上に、
『未来に、自分たちの親しい人にこんな思いをさせたいのか』というのを突きつける意味が込められているんだと思います。
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