ご覧になる前にまず一言。
映画とは、本来は『娯楽』のものです。観て楽しむのが映画です。
しかし、この映画には、エンターテインメント欠片は微塵もありません。
『エンターテインメント』目的で観る映画ではありません。
悲劇が悲劇を生み、泥沼化していく終戦間際のドイツ。
うず高く積まれていく死体の山。あたり一面の血と粉塵の海。
けれど決して目をそむけてはいけない。
原爆投下やアウシュビッツの大量虐殺を同じように、消す事の出来ない真実の歴史なのですから。
また、これは第2次世界大戦の戦争映画ではありません。舞台は確かにそうですが。
アドルフ・ヒトラーと、それを取り巻く人間たちのヒューマン・ドラマです。
しかも、晩年彼の秘書として仕えた女性からの視点で、物語は進んでいきます。
ヒトラーに関する書籍は数あれど、痛烈に批判したり、神のように崇めたり。著者の主観が色濃く出ているものが多いですが、これは、ヒトラーに最も近く、且つ、純粋にヒトラーを『独裁者』としてではなく『一人の人間』として捉えています。
狂信的で妄想的で、客観的な判断のつかない人間は、今の世の中ではどんなに地位が高くとも、すぐにはじき出されます。
それでも、彼に心酔し、彼の導きを欲する人の後が絶えないのは、カリスマを超えた『何か』があるからなのかもしれません。
しかし、現実には次々に彼を裏切っていきますが。どんなに深い忠誠を誓っても、最後はわが身のかわいさに走ってしまうのは、どこの国でも、どんな世代でも一緒です。
あらゆる著作や歴史書で、彼について様々書かれています。
が、当然だと思うかもしれないけれど、敢えてこの映画を観て思ったのは、彼は『神』でも『悪魔』でもなく、一人の『人間』だということ。
自分の周囲が悉く壊される中で、信じていた仲間が裏切られていく中で、極限状態にならない人間などいない。そんな『人間くささ』が、ドイツの戦禍の惨劇と同じように強く描かれています。
『亡国のイージス』でもそうでしたが、生々しすぎる映画なだけに、とても疲れました。
映画とは、本来は『娯楽』のものです。観て楽しむのが映画です。
しかし、この映画には、エンターテインメント欠片は微塵もありません。
『エンターテインメント』目的で観る映画ではありません。
悲劇が悲劇を生み、泥沼化していく終戦間際のドイツ。
うず高く積まれていく死体の山。あたり一面の血と粉塵の海。
けれど決して目をそむけてはいけない。
原爆投下やアウシュビッツの大量虐殺を同じように、消す事の出来ない真実の歴史なのですから。
また、これは第2次世界大戦の戦争映画ではありません。舞台は確かにそうですが。
アドルフ・ヒトラーと、それを取り巻く人間たちのヒューマン・ドラマです。
しかも、晩年彼の秘書として仕えた女性からの視点で、物語は進んでいきます。
ヒトラーに関する書籍は数あれど、痛烈に批判したり、神のように崇めたり。著者の主観が色濃く出ているものが多いですが、これは、ヒトラーに最も近く、且つ、純粋にヒトラーを『独裁者』としてではなく『一人の人間』として捉えています。
狂信的で妄想的で、客観的な判断のつかない人間は、今の世の中ではどんなに地位が高くとも、すぐにはじき出されます。
それでも、彼に心酔し、彼の導きを欲する人の後が絶えないのは、カリスマを超えた『何か』があるからなのかもしれません。
しかし、現実には次々に彼を裏切っていきますが。どんなに深い忠誠を誓っても、最後はわが身のかわいさに走ってしまうのは、どこの国でも、どんな世代でも一緒です。
あらゆる著作や歴史書で、彼について様々書かれています。
が、当然だと思うかもしれないけれど、敢えてこの映画を観て思ったのは、彼は『神』でも『悪魔』でもなく、一人の『人間』だということ。
自分の周囲が悉く壊される中で、信じていた仲間が裏切られていく中で、極限状態にならない人間などいない。そんな『人間くささ』が、ドイツの戦禍の惨劇と同じように強く描かれています。
『亡国のイージス』でもそうでしたが、生々しすぎる映画なだけに、とても疲れました。
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