忍者ブログ
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2026/03/31 07:58 |
首から下は
「ねぇ聞いて聞いて! この前有楽町駅で地井武男を見かけたの!」


   「え? 首から下が?」




カラカリベビースターのCMの見過ぎだって怒られました……  シクシク。

でももしそうなら、首から上は一体誰!?

拍手

PR

2006/01/30 22:23 | Comments(0) | TrackBack() | Diary
[Review] フライトプラン
フライトプラン自治体の放送とか、電柱の張り紙とか看板とか、時々見かけるのが「この子(犬 or 猫)を探しています!」。人間であればすぐに警察の捜索網が敷かれるけれど、その捜索に協力する『他人』は、一体何人いるんでしょうか?
目撃していないから、警察や探し主に通報できない。時々捜索の警察官に呼び止められて聴取されるも「いや、見てないですねー。」がほとんど。だってそうでしょう。『他人事』なのですから。

自分の身に何らかの被害も被っていないから、人のことなんてどうでもいいんです。
でも、どんなに他人にとっては「どうでもいいこと」でも、被害にあった当事者にしてみれば、恐るべき事態なのかもしれません。
でも、結局『他人事』である限り、当事者の苦しみは結局当事者にしか分からないのです。


こういう社会現象は別につい最近発生したことではありませんが、9.11事件で、更に拍車がかかったのかもしれません。自分の安全すらまともに守れるかどうか分からない、常に『何か』に怯えなければならない世の中で、「誰かを気遣う、構う」暇なんてないのかもしれません。
けれどそれが『当たり前』になってしまうことこそが最も深刻だと思います。大した被害や苦痛を体験したわけではないのに、まだ自分以外に意識を発信する余裕があるのに、「今がこんな世の中だから、他人のことに構わないのは当たり前」なんて平気で思っている方が性質が悪い。

「自分のことは自分で」。確かにそうかもしれません。でも、人は本来弱いから、自分のできることには限りがあるから、自分に置かれている立場があまりにも苦しく辛い時にこそ、誰かに手を差し伸べてもらいたい、と、ほんの少しでも思うはずです。
その仕打ちが、罵声だったり、白い目で見られることだったりすることほど、酷く打ちのめされることはないでしょう。


また、僕は心理学者でもカウンセラーでもありませんので、人の「本当の嘘」を見抜くことはほぼ不可能に近いと思います。それも、切迫した状況で被害にあった当事者の深刻な言葉に、嘘を見抜くことはまず出来ないと思います。
嘘かもしれない。でも本当かもしれない。
少なくとも、当事者から「嘘」と言うまで、信じるしかないかもしれない。

「信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つく方がいい」ではありませんけど、極地に立たされた人間が出来上がったように嘘を述べるとは思えません。
また、目に見えることだけが、真実とも限りませんから。

この映画は、姿を消した娘を助けるために、母親が孤軍奮闘ながらも大胆な行動に出るサスペンス・アクションですが、同時に、今の社会に問題視される「他者とのコミュニケーション」についても考えさせられる映画だと思います。

拍手


2006/01/29 11:33 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] レジェンド・オブ・ゾロ
レジェンド・オブ・ゾロ『マスク・オブ・ゾロ』その後を描いた、ラテン系アメリカンヒーロー映画。二代目ゾロと初代ゾロの娘エレナが結婚し、息子をもうけた後でも、ゾロとしてご町内の平和の為に諸所奔走する物語。

とにかく派手なんです!

『スパイダーマン』のように、視覚効果的に派手ではなく、
場の盛り上げ方そのものが。

時は19世紀の、カリフォルニアがまだアメリカ合衆国になっていない時分の真っ只中なので、そこに住む人は、どこか開拓民のような陽気でポジティブな人ばかり。
だからなのでしょうか。ゾロの戦闘シーンでも、決闘の最中に群集が周りを取り囲んで、「やれやれ!!」と喚き立てるように感じるのは。
もちろん、一部では人が死ぬシーンもあるわけですから、全部が全部というわけではありませんが、それでも、観ているこっちも闘争心を湧きたてるような戦いをするのです。
言うなれば、マタドールと闘牛ですね。


今回の観どころはもちろんゾロもそうですが、何といっても彼の妻と子供でしょう。
妻エレナ(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)は、前作でも華麗な剣捌きをを披露していました。今回はどちらかというと、肉弾を使った格闘技が割りと多いのですが、たとえ一児をもうけた後でも、その剣術に衰えはありません。まあ、もちろんキャサリン・ゼタ・ジョーンズの若さもそうなんでしょうけれど。
そして、意外にも彼の子供も大活躍。父親でもあるヒーローは、攫われた子供を助けに敵の陣に向かい、子供を助けて悪役を倒して一件落着、というのが王道ですが、ここはやはりゾロとエレナの血を引いた子供。侮れません。

『スパイダーマン』『バットマン・ビギンズ』など、多分に漏れずヒーローが抱えるダークネスな部分は少なからず存在します(今作では、ヒーローとしての活躍と、それが故に放り出し気味の家族)が、それすらも陽気な雰囲気で吹っ飛ばすこの映画は、今までのヒーローもののようにどこかジッと観る、ようなことはなく、終始手に汗握って観てました。
ストレス発散の為にスカッとしたい方に、ご覧いただければと思います。

拍手


2006/01/28 23:11 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] プルーフ・オブ・マイ・ライフ
プルーフ・オブ・マイ・ライフマンハッタンやブロードウェイ、日本でも上演された舞台『プルーフ/証明』が映画化された作品。ハリウッド女優たちが挙って出演したがっていた作品といいますが。
感想としては微妙。可もなく不可もなく。つまらなくはなかったけど、特別面白くもなかった。『オペラ座の怪人』のように、場面の秀麗さを醸し出すものではないから、映画より舞台鑑賞の方がよかったのかもしれません。キャラクターから発せられる台詞の掛け合いなんか特に。

この映画のパンフレット等を見ると、「最愛の人を失い、人生のどん底に陥った人の再生」をコンセプトにしていますが、映画を観る限りではもっと別なことに焦点が当てられていたのではないかと。
それは、『父へのコンプレックス』であると考えます。ファザコンという意味ではなく、一人の目標であり、一人のライバルであり。精神的に異常を来した父への看護疲れよりも、超えたいと思いつつも、どこか超えられないもどかしさに病んでいたと思います。

父親は精神を病んでいるから、たとえ父を超えたとしても、客観的評価ができず。
5年もの間父とほとんど二人きりで暮らしていたから、父以外自分が父を超えたという『証明』ができず。

看病疲れや、行動の不自由や、落第や、色々な不幸が彼女の周囲に舞い降りても、その中核となる存在は『父』。
またそれは、「自分の父親が偉大な数学者であること」も大きく関わっています。常に父親と何かしら比較されるから。父と同じ道を選んで進んでいる限り。
父親を超えたいというコンプレックスを持ちながら、同時に父親という存在に自分の存在が絡めとられていて、それから逃れたい、という気持ちがあるんだと思います。

それが、父が残し、自分が証明した、数学の定理。
あとは、この証明を信じてくれる、つまり、「自分が自分であること、決して『父親あっての私』とは思われたくない、確固たる『自分』を見て欲しい」という願いがかなうことで、ようやく幸せをつかむことができる。
ただ、『愛』の部分が創造していたものよりもずっと占めるウェイトが小さかったのが残念です。

なかなか複雑な物語ですが、この映画を「微妙」なんて思っているうちは、まだまだ素人なんでしょう。>自分



「ウソ! 本当に!?」というより、「ウソ! こんなに簡単に!?」というのが感想。

もう少し逮捕までてこずって欲しかったな、というのはサスペンスの見すぎでしょうか。
罪を犯したものには素早く逮捕するにこしたことはありませんが、素早すぎるのもいささか興ざめ(←邪悪)。

拍手


2006/01/24 00:05 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
安全と人命
「すみませんお客様。ここで降ろすにはちょっと危険ですので、次の次の●●駅で降ろします。
 もう少し我慢していただけませんかー。」



急な事故で遅延が発生した、朝のラッシュ時の電車の中。
都市部の縦横無尽に駆け巡る道路にかけられた高架橋の上で、電車は立ち往生した。
ただでさえぎゅうぎゅう詰めの電車の中に、輪にかけて人が乗車しているため、気分を悪くする人が続出した。最前車両に乗っている僕の目の前にいる人も、意識はあるものの、顔が真っ青になり脂汗をダラダラと流しながら、口にハンカチを押さえて必死で堪えている。

乗務員にとって、彼はただの『気分の悪い人』なのかもしれない。
でも、もし彼が、一刻も早く治療が必要な重症患者だったら?
それでも乗務員は、「危険だから降ろせない、我慢してくれ」と彼に言い放つだろうか。



安全』   と   『人命


相次ぐ事故が発生する中で、今の鉄道会社にとって、何よりも優先すべき事項だ。
目的地まで人を確実に運ぶために、『安全』に気を配らなければならない。
何かの事故が発生した場合、一人でも多くの『人命』を救助しなければならない。
けれど、どちらかを優先させなければならない時は、必ずといっていいほどやってくる。
今回のケースが正にそれだ。

安全』を優先すれば、急病人は安全なところに電車が到着するまで我慢しなければならない。
その間に、事態が悪化することもあるかもしれない。

人命』を優先すれば、高架橋に限らず危険なところで急病人を降ろさなくてはならない。
病気以上に、足元など気をつけて歩行しなければならないことなど、多くある。


乗客は苛立っている。乗務員も苛立っている。
当然だ。彼らだって人間だから。何百人という乗客の対応を、たった数人でこなさなければならない。ましてや事故で遅延が発生し、何時間も閉じ込められた電車の中。ストレスは双方ともにピークに達しているはずだ。
その中で取らなければならない判断。一歩間違えれば、急病人はおろか、他の乗客ですら危険にさらしてしまう。たった一言で、乗客の運命を大きく変えることだってある。




安全』   と   『人命


貴方はどちらを選びますか?

拍手


2006/01/23 11:15 | Comments(0) | TrackBack() | Diary

<<前のページ | HOME | 次のページ>>
忍者ブログ[PR]