感想としては微妙。可もなく不可もなく。つまらなくはなかったけど、特別面白くもなかった。『オペラ座の怪人』のように、場面の秀麗さを醸し出すものではないから、映画より舞台鑑賞の方がよかったのかもしれません。キャラクターから発せられる台詞の掛け合いなんか特に。
この映画のパンフレット等を見ると、「最愛の人を失い、人生のどん底に陥った人の再生」をコンセプトにしていますが、映画を観る限りではもっと別なことに焦点が当てられていたのではないかと。
それは、『父へのコンプレックス』であると考えます。ファザコンという意味ではなく、一人の目標であり、一人のライバルであり。精神的に異常を来した父への看護疲れよりも、超えたいと思いつつも、どこか超えられないもどかしさに病んでいたと思います。
父親は精神を病んでいるから、たとえ父を超えたとしても、客観的評価ができず。
5年もの間父とほとんど二人きりで暮らしていたから、父以外自分が父を超えたという『証明』ができず。
看病疲れや、行動の不自由や、落第や、色々な不幸が彼女の周囲に舞い降りても、その中核となる存在は『父』。
またそれは、「自分の父親が偉大な数学者であること」も大きく関わっています。常に父親と何かしら比較されるから。父と同じ道を選んで進んでいる限り。
父親を超えたいというコンプレックスを持ちながら、同時に父親という存在に自分の存在が絡めとられていて、それから逃れたい、という気持ちがあるんだと思います。
それが、父が残し、自分が証明した、数学の定理。
あとは、この証明を信じてくれる、つまり、「自分が自分であること、決して『父親あっての私』とは思われたくない、確固たる『自分』を見て欲しい」という願いがかなうことで、ようやく幸せをつかむことができる。
ただ、『愛』の部分が創造していたものよりもずっと占めるウェイトが小さかったのが残念です。
なかなか複雑な物語ですが、この映画を「微妙」なんて思っているうちは、まだまだ素人なんでしょう。>自分
「ウソ! 本当に!?」というより、「ウソ! こんなに簡単に!?」というのが感想。
もう少し逮捕までてこずって欲しかったな、というのはサスペンスの見すぎでしょうか。
罪を犯したものには素早く逮捕するにこしたことはありませんが、素早すぎるのもいささか興ざめ(←邪悪)。
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