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2025/02/03 22:09 |
[Review] ラストゲーム 最後の早慶戦
ラストゲーム 最後の早慶戦慶應義塾大学出身者からして、やはりタイトルからピクリとしてしまったのは言うまでも無く。語呂的に見ても世間一般の認知度から見ても、やっぱり『早慶戦』なんだよなぁ… と改めて想いを馳せてしまうのです。
観客の皆様にはお気づきでしょうが、ところどころで出てくる『ケイソウセン』。あれ、実は『慶早戦』を表しています。早稲田の大学生から見れば、自分達の漢字を最初に記すという意味で『早慶戦』、慶應はその逆、という意味なんです。

学校としてのプライドがあるとはいえ、世間一般としては「あ、そう」くらいにしか思わないでしょう。どちらに優位があるなんて特には思っておらず、どちらも平等で、どちらにも特性があり、どちらもどちらなりの強さがあるのだから。だから、野球とか、ラグビーとか、雌雄を決する戦いには日頃冷静に努めている人でも、手に汗を握ってしまう。
でも、当時の世界情勢は、いや、今でさえも『どちらにも尊重すべき特性、持ちえる強さ』というものは大多数の人が分かっていない。どちらの国にも、どちらの宗教にも、どちらの慣習慣例にも、尊重すべきところがあり、大切にしなければならないものがある。にも関わらず、自分達の優位性を示すかのように他を踏みつける。自分達以外を認めない。認めようともしない。
だから戦争に発展する。自分達の尻拭いのために、前途ある若者さえ戦地に借り出し、志半ばで生命が奪われる。


以前、NHKのドキュメンタリーで見た番組。
一つは、イスラエルとパレスチナの若者が、揃って広島原爆記念資料館を訪れたこと。原爆の恐ろしさ、戦争が与えた悲惨を目の当たりにしながらも、一人の若者は、「もし敵が攻めてきたら、きっと僕も銃を手にして戦うだろう。家族を守るために。きっとその敵が、今日行動を共にしたパレスチナ人であっても」。戦争の恐ろしさを目の当たりにしたとはいえ、彼らの心の根底に染み付いてしまった歪みは、そう感嘆には拭えないということ。
もう一つは、イスラエルでのプロサッカーの試合。ユダヤ人のチームと、アラブ人のチームとの試合。イスラエルではユダヤ人が多いから、アラブ人チームの観客席があるとはいえ、そのスペースは本当に微々たるもの。しかも試合中ずっと、ユダヤ人観客はアラブ人チームに対して、穢い罵詈雑言の嵐だった。彼らの身体的なことから、宗教・慣習に至るまで。それは試合が終わった後も続いていた。哀しいとか遣る瀬無いとか、もうそんな領域は超えてしまった感じでした。

そんな彼らが、この作品を観たらどう思うだろうか。
試合が終わった後、それまで敵対していた両校が、ライバルの応援歌や校歌を歌う。ライバルを讃えて。この作品の真骨頂。勿論映画館での鑑賞なので声には出しませんでしたが、慶應義塾の『若き血』は勿論、早稲田大学校歌も口ずさんで観ていました。
この先、学徒出陣で彼らは戦地へ赴く。もう二度と祖国の地を踏めないかもしれない。だからこそ、感慨一入の瞬間かもしれません。
それを彼らが観たらどう思うだろうか。それでも考えを止めず、自分達の優位だけを考え、他を弾圧するのだろうか。


この作品は、フィクションではありますが事実に基づいた作品だそうです。それまで人伝で曖昧だった最後の戦いも、僅かに残った記録などから徐々に浮き彫りになった物語。もう二度とグラブを、バットを持てないかもしれない、でも、自分達が生きた証を残しておきたいという、両校の選手の熱い想い。そして、熱戦を繰り広げながらも互いを讃える精神。
回顧主義の作品に終わらせたくない、今の、全ての世界の人たちに観てもらいたいと思う作品です。

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2008/08/31 13:10 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] 20世紀少年 第一章
20世紀少年 - 第一部 -数にしてみればまだまだ少ないですが、唐沢寿明氏の作品はいくつか鑑賞してまいりました。色々なジャンルの映画作品は勿論ですけれど、ドラマ(基本的にドラマは見ませんのでそれこそ数える程度ですが)やバラエティ、情報番組まで。しかし、今作の主人公・遠藤ケンヂ役を見て、思いを新たにしました。

唐沢寿明氏にうだつの上がらない男は似合わないっ!

これまで演じてきた役の既成概念有る無しに関わらず、容貌から体型から風格から、スマートに洗練されすぎて『うだつの上がらない男』という役はどうも違和感ありまくりなのです。ここ最近で『うだつの上がらない男』がスマートに変わっていくのを、顕著に観る事ができたのは、『ハンコック』のウィル・スミスでしょうか。
しかし、その『うだつの上がらない男』が、過去に自分の仕出かした不始末を自分の手で消し去ろうと決起するわけですから、さらにそれが地球規模の出来事なのだとしたら、その心境の変化の表現するというのは非常に難しいと思います。それはもう、ただの『うだつの上がらない男』には出来ないことですから。

そういう意味で言えば、僕個人としては一番漫画と近いキャラクターに見えたのは、ヨシツネを演じられた香川照之氏です。


細かいところは多少原作とは異なるものの、基本としては原作に忠実に描かれていると思います。作品全体の雰囲気とすれば、『デスノート』+『ザ・マジックアワー』というようなものでしょうか。
改めて原作を読み直してみると、今でこそ「これは無理があるんじゃない?」という描写もあり、そういったところを忠実に表現されているため、やはり同じ感覚を憶えることがあります。が、それはきちんと事実となる情報を得ることができ、その情報の真偽を分別し慎重に取捨選択できるからこそ。盲目になりただ従順するだけの人間が多くなればなるほど、作品のような『無理』に見えることも『現実味』を帯びてくる。『デスノート』でもそうですね。悪人がどんどん消され、「悪いことをすれば消される」という現実味が帯び、さらにそれを先導する存在が現れると、どうしても人間は「自分は助かりたい」というためだけに、考えることを止め、盲従してしまう。今のような、全てが偽物の情報ではないけれど、一部の微妙に曲解された情報が、やがて大きな歪みを生んでしまうのと同じ。
漫画にも出てきますが、最後の方のケンヂの台詞は、正にその警鐘とも言える事ではないのでしょうか。「そんなお面をかぶっているから、現実が見えない」と。

いくつか不満はありましたけれどね。まぁ『デスノート』でもそうでしたが、映画作品として割り切って鑑賞しています。三部作とはいえ、2000年12月31日の血の大みそかに至るまでも結構物語は壮大です。それを2時間30分に収めるというのですから、並大抵には行きません。
しかし、僕としては、この作品ではオッチョが一番好きなので、オッチョ(ショーグン)のエピソードがかなーり削減されていることに不満を憶えてならないのです!
あとは、ピエール一文字の殺害シーンとか。ギャグ的な要素は皆無ではないにしろ、もうちょっとサスペンスフルな死に様でもいいと思うのですが。>竹中直人サン


第二章は、血の大みそかが勃発してから14年後の世界。浦沢直樹氏の作品としては珍しい、主人公の交代。ケンヂの姪で、17歳に成長したカンナが登場します。ほぼ『ともだち』によって牛耳られた東京が、世界が、どうなってしまったのか、それを観るのが楽しみです。

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2008/08/30 15:57 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] ハンコック
ハンコックスーパーマンやスパイダーマン、バットマンが繰り広げる、縦横無尽のアクションや超人的な戦闘。革新的な映像技術の開発によって、限りなくリアルに表現できるようになりました。が、ふと「こんなのが東京で繰り広げられたらどうなるんだろう?」と思ってしまいます。
網目のように首都高速が走り、それを取り囲むような超高層ビル。皇居や浜離宮、新宿御苑といった広い土地があるとはいえ、基本的には雑多でこれでもかというくらい建物に埋め尽くされている都市。そんなところに、スパイダーマンやらスーパーマンやらが登場して超人的な戦闘を繰り広げたらどうなるか。

堂々と会社を休め……ゴニョゴニョ、基い! 大迷惑ですがなっ!

交通網は寸断されるはビルは倒壊するは怪我人・死者は増大するわ、で……
とはいうものの、今でこそ彼らが絶対に必要とされるようなシチュエーションは起こっていないものの、万が一そんなことが起きれば、どうしても多少の破壊は否めませんもの。だってほっとけば彼らのアクションによって破壊される以上の損害を被るかもしれませんので。

しかしそれでも、人間は素直というか正直というか、やっぱり自分が一番可愛いのは世の常。もしかしたら死者多数かもしれない大惨事になるところを、結局怪我人数名で済んだのに、その後の自分の生活に多少の支障が出ると分かるや否や、その場を救ったスーパーヒーローに非難轟々。あれではヒーローもやる気を無くしますよ。
というわけで、今作のヒーロー・ハンコックは、ほとんど気まぐれに自分のやりたいように人助けをして、その後どんな損害が出ようとも「ゴチャゴチャぬかすな」的な態度を取ってしまうようになってしまったのです。でも、多分最初はもっと丁寧だったのではないでしょうか。それが、結局助けられた人間の自分勝手な可愛さのあまり、破壊行動にケチをつけられ、徐々に見放されて行くのですから。もうちょっとその過程を描いて欲しかったな、というのが正直なところです。


一人の男を助けるところから、彼の運命は大きく一転します。
彼を必要としてくれる存在が確かにいること、そして彼の出生の秘密。何故存在するのか、どこから来たのか。そして「やはり存在していたのか!」の、もう一人の超人的パワーの持ち主。その者との意外な関係。話はどんどん風雲急を告げていくのです!

今作は予告編からしてハチャメチャ劇が多かったので、割とコメディタッチな作品なのかなと思っていたら、案の定そうでした。お下品な台詞の連続はもとより、「これ狙ってるだろ!」というものまで。
さらには、シャーリーズ・セロン様の存在。彼女の作品はまだ数本しか鑑賞していないのですが、全てシリアスな内容のだったり、社会的な側面を持つ作品が多かったのです。が、ウィル・スミスと息がピッタリ、身体を張った、しかも家を破壊してしまうくらいの「ボケとツッコミ」の応酬がスゴイ! 新たなセロン様の側面を観たようで面白かったです。


今までにない斬新なスタイルの、ドタバタ風アクション・ヒーロー映画。是非、映画館で笑って楽しんでいただければと思います。

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2008/08/23 23:03 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] インクレディブル・ハルク
インクレディブル・ハルクincredible

-【形】
1.(比較無し)〈物事など〉信じられない、信用できない
2.《口語》 驚くべき、非常な、途方もない



軍用の人間兵器開発の端となるはずだったのに、人体実験の失敗で途方も無い怪物となってしまった『ハルク』。感情が高まり、血圧が上がると、途端に自分を見失う。その体躯は常人の何倍にも膨れ上がり、あらゆる兵器にも耐えられる頑強さと、街一つすらも破壊できる強靭な戦闘能力を誇る。
彼の目に映ったものの先はただ一つ、一切の破壊。ただ一人を除いて     

主人公が科学等の力によって絶大な力を得るも、その見返りとして醜い姿と本能のままに破壊活動を行う、という物語設定というのは、多いようでいて実は少ないんですね。しかし、得てしてそういった物語の核となるのは、『正常』だった時に自分が愛した、または自分を愛してくれた者の存在。心の拠所。その存在如何によって、『変身』後の彼の行動は大きく変わる。
お約束のように見えても、実は非常に不安定で、危うい存在。だって、その愛する存在がいなくなってしまったら、彼はもう自分自身すらを止めることはできない。愛すべき人のいない世界など、もはやあって無きに等しい。きっと彼が死ぬまで、己の存在が消えてなくなるまで、破壊活動を続けることでしょう。

今作におけるもう一つの見所といえば、人の果てしない欲望。特に破壊欲について。
自分が得ていない、でも他人が得ている『力』というのは、しばしば嫉妬の対象となる。その『力』を何が何でも得るために、人は凶悪な行動を取ることもある。その力を得た後、どのような副作用が発生するか、どのような醜い姿になるのかも知らずに……。
それでも人は、誰かに優位に立つために、『力』を得ずにはいられない。もっとも、それが一番人間らしい行動の源泉なのかもしれませんが。


しかしながら、そんな人間誰しもが持つ欲望や、たとえ己を見失っても愛する者の存在だけは見失わない、という設定であっても、どうにも二番煎じのような感じがして、今作ならではの見所というものが、実は見つかりませんでした。
というわけで、あまり大きな期待をすることなく、一エンターテインメント作品として鑑賞するのがよろしいかと思います。最後の戦闘シーンは、確かに迫力満載でしたし。
また、次回作に繋がるようなプロットもいくつかあります。どんな作品になるのか分かりません(原作のアメコミを知りませんので…)が、『ハルク』シリーズならではの展開を期待します。

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2008/08/15 22:19 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] ハプニング
ハプニングタナトス [Thanatos]

(1) ギリシャ神話で、『死』を擬人化した神。

(2) フロイト用語。攻撃、自己破壊に向かう死の本能をさす。



M・ナイト・シャマラン監督の作品は、僕個人的にはどうも不発が多かったので、あまり期待せず気負いもせず鑑賞しました。正にそれが当たり、だったのかどうかは分かりませんが。今作は割りと素直に観ることができました。
特に、ラストでアボーン(死語)とされるくらいに脱力的な展開をされることがしばしば。なので、それまで心地よく、現実と非現実の境界線を彷徨っていた、何とも表現し難い心地よさがあったのが、いきなりトンデモナイ予想外展開、というより裏切り展開に引きずり込まれたりなんかして……。今作も、はっきりとしたラストを提供するわけではなく、ある意味非常に曖昧な終わり方をしています。でも、個人的にはそれの方がいいかも。変に「今回の異変の正体は~~」というふうに固定的な結果を提示されると、それまでのサスペンスフルの高揚が一気に萎えてしまいそうで(『サイン』とか『レディ・イン・ザ・ウォーター』とかがそう)。まぁ、こればっかりは観る人の好みによって分かれるかもしれませんが。

人類を突然襲う、謎の奇怪な行動。
同じ言葉を繰り返したり、意味不明の言葉を言うようになる。まるでマネキンのように、歩みを止める。最後に、自分を『死』に追い込む。
誰かを殺すわけでもない。特定の場所でしか起こらない(作中では、アメリカ東海岸の一部)。特定の時間でしか起こらない(作中では、ある朝から、明朝までの約1日)。
様々な憶測が広がる。テロなのか、政府秘密組織の薬品散布なのか、それとも毒素を振りまく植物の突然変異あるいは突如とした攻撃サインなのか。全く分からない。だって目に見えないから。目に見えないから捉えようがない。原因を特定しようが無い。様々な憶測が縦横無尽に飛び交う。でも所詮は憶測に過ぎず、真実ではない。どう対処したらいいのか、どこに逃げたらいいのか、全く分からない。
『クローバー・フィールド』と映像表現は異なるものの、何の情報も与えられず、ただ逃げ惑うだけの構成は同じ思います。たとえ観客ですら、真実は与えられない。ただ目の前に広がるのは、訳の分からない、考える暇すら与えられない事実、現実だけ。更に、『クローバー・フィールド』とは違い、今作の脅威は目に見えない。だからこそ怖い。どこに逃げたらいいかも分からないから。

地球環境破壊の警告かもしれないし、単に人類の進化の成れの果てかもしれない。
いずれにしても、未だ人間は、未知なる領域の事象を前には、全くの無力であること。それを震撼させる作品であると思いました。

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2008/08/13 22:05 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie

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