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2025/02/03 16:06 |
[Review] ワールド・オブ・ライズ
ワールド・オブ・ライズI and the public know
What all schoolchildren learn ?
Those to whom evil is done
Do evil in return.

W.H.オーデン『もうひとつの時代』



誰かを傷つけた者は、必ずその復讐を受ける。傷つけられたのと同じ、血をもって贖う復讐を。
人類が文明を築き上げてからもう数千年の時を超えているのに、その考えは今も尚続いている。まるで、復讐劇に終わりなど無いように。そしてその復讐の手は、攻撃を仕掛けた者に留まらず、攻撃を支持した者、攻撃した者と同じ血が流れている者にもその牙は向けられる。
同じ星に住む、同じ人間であるのに。
「優れているのは自分。だから他は全て劣っている」「自分と違うものは全て異形。だから異形は排除する」人間が人間であるが故の負の思考の連鎖。そして、犠牲になるのは決まって弱い人、罪も無い人。

負の連鎖は、その根源を絶たなければならない。しかし根源を絶つ方法は、正義を振りかざせば、正しい方法を貫けば絶てるものではない。そこは、勧善懲悪のようなはっきりとした立場の具現は行われていない。どちらが相手の先を読み、相手に近づけ、相手を滅ぼすか。それには、時としてあまりにも汚い手法に手をつける必要もある。勿論、その手法には相手を巧みに騙す『嘘』も。


リドリー・スコット監督の作品は、過去にもいくつか鑑賞しています。が、『ブラックホーク・ダウン』や『アメリカン・ギャングスター』といった作品と比較すると、ちょっとぬるいような、そんな気がしました。また、レオナルド・ディカプリオ氏出演の最近の出演といえば、『ブラッド・ダイヤモンド』や『ディパーテッド』。それらの作品と比較しても、多少ぬるさが否めないような気がします。
何と言うか、あまり『思い切り』というか『泥臭さ』というのが感じられませんでした。サスペンスものとしては珍しく分かりやすかったのですけれど。R-15指定ではなかったからなのでしょうか(一応この作品はR-12指定ですが…)? それとも予算不足だから? アメリカ発金融危機は、映画界にもやっぱり影響していたんでしょうか。予算の問題とか。
まぁ、本当の実情を知らない観客からすれば、下世話なお話かもしれませんが……

それに、この作品が封切られる前は、レオナルド・ディカプリオ氏とラッセル・クロウ氏、どちらの『嘘』が世界を救うか、というものでした。しかし、実際のところ『嘘』というより『隠し事』に近く、どちらもその『隠し事』によって折角順調に進んでいた仕事が有耶無耶になったり。「敵を騙すならまず味方から」とはいうものの、もう少しでテロリストを捕縛できるというところでそれはどうだろう、というところがチラホラ。
結局、「どちらの嘘が」というところは、自分が打った伏線と放った手駒をどう駆使し、相手をおびき寄せ、捕縛に導くか。そのためにつく『嘘』。相手をしてやったと言わせることより、相手を如何に手駒として動かすかの策略。少なくとも、人を『手駒』ではなく『人』として共闘する人物では難しいかもしれません。まぁ、そういう世界に生きればそうならざるを得ないのは致し方ありませんが。
兎にも角にも、リドリー・スコット監督の作品としては、少し消化不良では? と思ってしまうような作品でした。

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2008/12/20 23:52 | Comments(1) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] レッドクリフ Part I
レッドクリフ Part I赤壁の戦い(中国語:赤壁之戰)

中国の後漢時代(三国時代)の208年、長江の赤壁(現在の湖北省)において曹操軍と孫権・劉備連合軍の間の戦い。
孤立した劉備は長江づたいに南下し、曹操軍の侵攻の難を逃れ、荊州の動向を探りに来た魯粛と面会し、一万人余りの軍勢を率いる劉表の長男の劉琦と合流しつつ夏口へ到達。曹操は劉表が作りあげた荊州水軍を手に入れ、そのまま南下して兵を長江沿いに布陣。
孫権は大軍の曹操軍に恐れたものの、都督周瑜が説得。魯粛は劉備に孫権と同盟を結んで曹操と対抗するように説き、劉備は諸葛亮を使者として派遣して孫権と同盟を結び、孫権は周瑜・程普ら数万の水軍を劉備の救援に派遣。一方の曹操軍も長江を下る。両軍は赤壁で一戦を交え、周瑜らは疫病に悩まされていた曹操軍を撃破し、曹操は後退し烏林に陣を張り、周瑜らは長江を挟んで対峙する。



『三国志』とは、言わずと知れた中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃-280年頃)の興亡史。魏を収める曹操、呉を収める孫権、蜀を収める劉備の争いは、元となる中国だけでなく、日本を始め世界中に人気を博しています。しかし、『三国志』には『正史』と『演義』があり、『正史』は正しく史実を語っているものの、語られている事柄は少なく、その内容は戦いや智謀や駆け引きを楽しむ上では物足りないのだとか。後に作られた『三国志演義』は、明代に書かれた中国の通俗歴史小説で、少なからず説話本や雑劇から取り込まれた部分、あるいは作者自身による創作が含まれており、登場する地名・官職名・武器防具などは三国時代の時代考証からみて不正確なものも多いのだそうです。
そして、今作『レッドクリフ』も、『三国志演義』を元に作られた作品。ですので、『正史』とは異なる創作が盛り込まれています。

また、三国志には曹操・孫権・劉備を始めとする様々な軍師や英傑が揃いに揃っています。今作も正にそうですが、今作の主人公は、トニー・レオン氏が演じる『周瑜』と、金城武氏が演じる『諸葛亮』。孤立する劉備軍に孫権軍を抱え合わせ、強力な水軍を手に入れ、よもや総勢80万の大軍を率いる曹操軍と対峙する。10倍以上の軍勢比を前にすれば、もはや成す術も無いと思うはず。しかし、これまで培い守り抜いてきた国を、暴君に蹂躙されてしまうのがもはや目の前という時に手をこまねいているわけにもいかない。周瑜と諸葛亮の英知と英断が、赤壁の戦いで試されようとしています。


様々な英傑や軍師がひっきりなしに登場し、複雑に絡み合う三国志。ハマる人はハマるけれど、ハマらない人は登場人物の多さで誰が誰だか分からなくなることもあるそうです。同じ中国の演義である『封神演義』もそういえばそうですね。ですが、『レッドクリフ Part I』は、登場する英傑こそ多いけれど、その中心を担う人物はかなり絞られた形で表現されています。そういう意味では、三国志をあまりよく知らない人が初めて鑑賞しても面白い作品ではないかと思います。
武侠映画と思われがちですが、僕としてはあまりそうには思いませんでした。全く登場しないというわけではないのですが、どちらかというとそのアクションはかなり豪快で泥臭い。戦いに繊細さやかっこよさなどは程遠く、血と泥と腐臭にまみれた、普通の人から見れば悪夢のような戦場。さすがに、『HERO』のような華麗で静寂に満ちた戦い、というわけにはいきませんね。まぁ、『HERO』はそれを中心においた武侠映画なので、今作とは主軸が異なるのですけれど。

「大軍で押し寄せる」という大スペクタクル的要素の描写は、今のところは曹操軍のみです。勿論、10倍以上の軍勢比を如何に表現するか、という意味なのでしょうけれど。これから先の、孫権軍と劉備軍の連合軍との戦いの規模の大きさやスペクタクルは、『レッドクリフ Part II』に乞うご期待、というところでしょうか。

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2008/11/01 23:20 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] イーグル・アイ
イーグル・アイとりあえず鑑賞し終えた後の感想としては、「既出感の激しい作品だったな」ということ。最新のテクノロジーを駆使した作品というのは、もう大概出尽くした、という感じでしょうか?
スティーヴン・スピルバーグ監督が、監督もしくは製作に携わった作品で、まず思い立ったものは、ロボットが感情を持ってしまう『A.I.』。それと現時点もさることながらプリコグの能力を駆使することによって未来までも監視してしまう『マイノリティ・リポート』。また、スティーヴン・スピルバーグ監督が直接関与していない作品として、ロボットが自律的な意思を持ち始め、人間社会を実質的に支配しようとする、ウィル・スミス氏主演の『アイ・ロボット』、果ては、今やライフラインまでコンピュータ制御となった盲点を見事に突き、人間社会を混乱に陥れるサイバー・テロを取り上げた『ダイ・ハード4.0』。
お世辞にも映画暦が浅い僕ですら、『イーグル・アイ』のモチーフに使用され、これまでにも登場した作品が出てくるわけですから、詳しい方であればもっと出てくるに違いないのでは、と思ったりもします。
そんな中でも、『イーグル・アイ』ならではのオリジナリティといえば、全く何も知らず、ほとんどと言っても差し支え無いくらい抵抗手段が無い登場人物が主人公、というところでしょうか。監視社会の前では、携帯電話の会話記録は勿論、監視カメラに映る自分の唇の動きですら全てお見通しにされてしまう。なのに、刑事でも捜査官でも科学者でも何でもない、ましてや心の準備すらも整っていない『ただの人間』が、一体どこまで渡り合えるのか。相手は、一切のスキをも見せない冷静で狡猾な、人間が生み出した悪魔の頭脳。予定調和のようにことが進む中で、『ただの人間』がどうやってその牙を剥くのか。正に、最後の最後、僅かなギリギリのラインまで翻弄されつくされています。

しかしロボットであれ監視システムであれ、本来ならば人間社会を、人間の生活を円滑且つ幸福にするためのシステムであるはずなのに、それが人間社会を脅かす存在になろうとは。更には、ロボットも監視システムも、両方とも「人間が作った存在」であるのですが。
両のシステムを作ったのは、操作しているのは、所詮はこれまでも不完全であり、これからも、果ては未来永劫不完全である人間であるのですから、両のシステムも、やっぱりずっと『不完全』なままなのでしょうね。もしどちらかが『完全』となってしまったら、その時こそ、人間の社会は本当に脅かされるのでしょう。
一応、日本社会は映画のように個人の全ての情報を国が強制的に管理し、国家安全保障のために強制的に駆使するような法律はありません。が、それもあくまで今のところであり、これから先はどうなるか分かりません。自分を守り、自分を信じられるのは自分だけ。そうなのかもしれませんが、それもそれでどこか寂しい気がします。
いずれにせよ、このような社会になることを望むか、もしくは否定し違う未来を作っていくか、僕達の心がけ次第、というところでしょうか。


とまぁ、色々と思いを馳せてみましたが、今作ばかりは、あんなカーチェイスを繰り広げたら、いくらなんでも死ぬでしょう普通、と思ってしまいます。これまでの作品の中で、最も多くの車が犠牲になったのでは、と思ってしまうくらい。
あと、日本の観光バスがちょっとではあるにせよ登場するのですが、日本人はあんな発音しません(バスガイドを除く)。見ず知らずの男がいきなりバスに乗ってきて、唖然とはしても挨拶まではしないと思いますが……。

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2008/10/26 11:44 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] ゲット スマート
ゲット スマートまぁ、言うなればこの作品は「00(ダブル・オー)の道は1日にしてならずぢゃ」というところでしょうか。『ピンク・パンサー』のクルーゾー警部とはまた違う味を出している、正義感溢れた主人公の保安活動コメディ。
クールにキメようとしているのに歯車が合わなかったり空回りしたり。ドタバタコメディにも思えるのですが、そうでもなく、主人公は以外にもクールでクレバー。情報分析官として高い実績と評価を得ているからなのでしょう。しかし、初のエージェントとしての仕事を担うという肩の入りすぎが、自然な形(というか、むしろ天然?)で演じられていました。爆笑ものというよりかは、「プッ、クスクス」という作品でしょうか。
何よりも、こういう保安活動コメディは複数(大抵は2人)一組で行われ、相方の方はそのドタバタに巻き込まれ、思う存分力を発揮できないというのが多いと思います。が、今作についてはそれがほとんどなく、相方としては「あんた、何やってんのっ!?」と思いつつも、それが回りまわって実は良い方向に展開していたり、とか。

しかし、途中まではそんなむちゃくちゃな展開(ダンスシーンとかトラップ以外)は無いものの、最後の方のクライマックスは、00(ダブル・オー)も顔負けのむちゃくちゃなアクションが応酬されていましたけれどね。自分達の組織に実は裏切り者がいた、なんてのはこの手の話の定説(?)ではあるのですが、それを倒すための手段にも、まぁ…… ある意味有効なのではないかと。
でも、健全な良い子は真似をしないでください。


それにしても。
アン・ハサウェイ様があんなに過激にアクションを繰り広げる、というのは、自分の不勉強ゆえではあるのでしょうけれど、初めて観ました。あんまり、というかほとんどそういうイメージを持っていなかったので。新たな一面を観れたような気がします。

古典的といえば、古典的のコメディを取り入れている作品ですが、それらのシーンがずっと続くようなコメディ色満載というわけではなく、上手い具合にシリアスとコメディを巧みに使い分けているので、色んなジャンルの人が、安心して鑑賞できる作品ではないかと思います。

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2008/10/12 12:59 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] アイアンマン
アイアンマンヒーローものの作品というと、一定の悪役が存在し、それを蹴散らすために孤軍奮闘する、というのが割りと定説。その中で、自分が得た力が果たして自分の果たすべき目的にかなっているか、それに対する対価や責任の支払いの発生、愛する者を危険に巻き込んでしまった時の苦悩。往々にしてそんな想いがメインテーマであるかのように観る者に突きつけていくのです。
そんな物語に一線を画しているのが、この『アイアンマン』。はっきりとした線引き、というわけではないのですが、まぁいつも通りの展開でしょ、と多寡を括っていたら実は割りと違っていた、というのが第一印象です。何と言っても、倒すべき対象が、明確に『悪人』ではなく、『武器』なのですから。しかも、『正義感』で動くというより、『贖罪』として動く。自分が得た超人的な力に溺れてしまいそうになるはずなのに、これまでの自分の功績の『醜さ』が、彼が本当にすべきことに目を覚まさせてくれる。だから暴走も、強欲による使役もしない。

この作品で、「『人を殺した数』が自分のこれまでの功績にしたくない」という考えを、アメリカ人他の人達にも浸透してくれればいいんですが……
如何せん、武器の密輸や裏取引というのは、未だに横行しているのが実情。報復には報復を、血には血を。たとえ敵でも、不必要に人に対して暴力を振るうことは一切無く、また、それを裁くのも、『力ある人間』の行うことではなく、それによって苦しめられた人達の手によって裁かれるのが最も重要だという判断。たとえ短い間でも、彼が見てきたもの聞いてきたものは、己の価値観を180度変えてしまうほどの痛烈であり、同時に得がたい経験でもあったのでしょう。


が。
作品としてはというと、面白く最後の方まで進んだと思いきや、最後のクライマックスは、テクノロジーやヒーローものから一転して怪物ものに! という感じになってしまい、観ているこちら側としては「ええぇぇぇっ??」と思ってしまうばかり。予想外の展開ではないにせよ、テクノロジーばりばりの作品が、最後の最後で思わぬSF調になってしまったのですから。
テクノロジー好きの僕としては、何か、こう、微妙な遣る瀬無い気持ちになってしまったのは確かです。まぁ、それもありである人はありなのでしょうけれど。

そしてエンド・クレジット後のおまけ映像。明らかに次回作を匂わせる展開。でも何となく、『ファンタスティック・フォー』のようになりそうな気がしてなりません。。。

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2008/10/11 23:12 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie

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