その時の話は、生前祖父から何回か聞いたことがあるが、概況くらいしか聞いたことがない。
本当に生々しい戦地での体験は、その時、同じ思いを味わったものでしか語ることが出来ない、という。
事実、祖父は何度か同じ戦地に赴いた友人と語り明かしていた。
その者達にしか決して分かち合うことが出来ない、本当の戦争の恐怖と苦労を 。
僕にも、『秋祭』という、本当にその苦労を分かち合える人とでしか話し合うことの出来ないものがある。
きっと、人にはそういった経験が、必ず一つはあるに違いない。今回観た『K-19』も、そんな映画だった。
人々の記憶から忘れ去られた事件。
ごまかされてしまった事件。
もみ消されてしまった事件。
でも、その場で生き残った戦士達には、決して忘れることのない苦痛。
あの男たちの死は勲章のためではない
彼らはあの時あの場で義務を果たした
海軍の義務 国への義務ではない
我々のため 仲間のためだった
彼らはあの時あの場で義務を果たした
海軍の義務 国への義務ではない
我々のため 仲間のためだった
たとえ誰にも、その痛みも苦しみも分かってもらえなくても、
一緒に分かち合える人がいる。
語り継ぐことのできる人がいる。
そういう『仲間』を持てることは、何よりも幸せなことなんだろうな、と思った。
P.S.「沈黙の艦隊」を読んだからか、結構、潜水艦関連の専門用語が分かるようになってきました。。。
後によく考えてみると、『秋祭』という戦場とここでいう戦場は、全くの別物なんだな、と考えたりします。誰の為に、何の為に命を賭けられるか、体を張れるかが違うから。
今まで、僕にとって『秋祭』とは、「人の為」にやっているのだと思ってた。
自分がどう思うのか、というよりも、参加する一般の人たちが楽しんでいるのか、というよりも。
ただ、共にここまで戦ってきた戦友の為に。
でも、振り返ると、それは違うのだった。『秋祭』という目的は、いわゆる学園祭としての一つのエンターテインメントを作り上げる事。一般に来場してくださるお客様に、喜んでいただく事。
単に、仲間内だけの「為に」というのは、ここでは僕の自己満足に過ぎなかったのだ。
でも、彼らが何の為に戦っているのか。それは、もう「自分の国の為に」という考えはとっくの昔に置いてきてしまっている。
何者でもない、ただ、「仲間の為に」。圧倒的な覚悟の違いを、改めて見せ付けられた。
「本当に自分は『そう』考えてる?」 これからの人生、いくつ戦場に駆り出されるか分からない。
自分の中の「為」を、もう一度自問してみたい。
今まで、僕にとって『秋祭』とは、「人の為」にやっているのだと思ってた。
自分がどう思うのか、というよりも、参加する一般の人たちが楽しんでいるのか、というよりも。
ただ、共にここまで戦ってきた戦友の為に。
でも、振り返ると、それは違うのだった。『秋祭』という目的は、いわゆる学園祭としての一つのエンターテインメントを作り上げる事。一般に来場してくださるお客様に、喜んでいただく事。
単に、仲間内だけの「為に」というのは、ここでは僕の自己満足に過ぎなかったのだ。
でも、彼らが何の為に戦っているのか。それは、もう「自分の国の為に」という考えはとっくの昔に置いてきてしまっている。
何者でもない、ただ、「仲間の為に」。圧倒的な覚悟の違いを、改めて見せ付けられた。
「本当に自分は『そう』考えてる?」 これからの人生、いくつ戦場に駆り出されるか分からない。
自分の中の「為」を、もう一度自問してみたい。
PR
トラックバック
トラックバックURL: