ビッグコミックオリジナルの連載漫画として人気を博している、『岳 みんなの山』の映画化作品。山岳救助ボランティアの島崎三歩を中心に、山岳救助隊と登山者、そして山に魅せられた人たちとの交流や人間ドラマが描かれています。
基本的には、山で遭難したり、怪我や病気になった人たちの救助や手当業務が主ですが、登山を通じて、人の想いや悩み、葛藤を、時に穏やかに、時に鋭く描いていますので、色々な世相から支持を受けている作品であると思います。
主人公の三歩は、登山技術や緊急時の対応処置は勿論のこと、世界の名峰を登ってきたため、山については広く深く、まるで自分自身のように知っているし、さらには山を取り巻く気候変動についても深い知識を持っています。そして、それに慢心することなく、敬意を表しながら、山に、そして登山者に接する。でも、それ以上に、彼は多くの怪我人や病人、果ては死者にも接しています。だからなのか、務めて朗らかに、務めて大らかに、少しでも自分が受けてきた闇や痛みを人に見せまいとする努力が込められているように思います。
それが、初対面の人にとっては、「何じゃい、このふてぶてしく馴れ馴れしくちゃらんぽらんそうな男はっ」と思われてしまうのでは、と。きっと、彼自身も、そういう自分を演じているのに、戸惑いもあるかもしれませんが、「そうしなければやっていけない」という葛藤の方が強いのでしょう。
そして、何よりそんな、ふてぶてしく馴れ馴れしくちゃらんぽらんそうな男を、小栗旬が演じるということにビックリ! 正直、鑑賞している側からすると、「似合わねー、舞台俳優のような演じ方をする俳優さんが演じるのは似合わねー」と思ってしまいました。それはそれでアリなのかもしれませんが、全く受け付けなかったわけではなかったにせよ、どこかで違和感を感じてしまったのは事実です。う~ん。。。
さて、物語はというと、島崎三歩というより、どちらかというと、山岳救助隊の新人として入隊した、椎名久美の視点で描かれています。警察官としての知識や使命感、これまで培った体力等に自信はあっても、平地での仕事とは全く異なる山岳救助という仕事。素人目線であるからこそ、鑑賞する側からも素直に受け入れられるのではないかと思います。
そして、舞台は主に冬の北アルプスで繰り広げられ、主に救助活動にあたっていますが、視点は常に人間模様。山に魅せられて登った者、絆を深めるために登った者、何かをなすために登った者。物言わぬ山は、まるでそんな彼らを暖かく迎え入れるよう、というように思うかもしれませんが、基本的に山は何もしない。恩恵を与えるわけでもなく、意図的に罰するわけでもなく、淡々と自然の摂理のままに人に接する。そしてそのたびに、人は己の無力感に襲われ、苛まれ、絶望し、平伏し、それでも尚、人は抗います。
刻々と変わる天候の中で、時間を延ばせば延ばすほど生存できる確率が下がる中で、それでも迫られる選択。「そうしなければならない」という選択を迫られた時、人は、どんなに苦しく、どんなに辛い思いをするのでしょう。それでも自然は、決して慈悲の手を差し伸べてはくれない。だからこそ、己の運命と未来を切り開くには、自分自身でしかできないことに気付くのではないか、と思います。
人間の手にはどうしようもないことは、これまでもそうでしたし、そしてこれからもそうなのでしょう。それでも抗って生きていく。だからこそ、人間は美しい。だからこそ、三歩は、たとえ遭難者を発見した時、すでに事切れていたとしても、「よくがんばった」という声をかけるのでしょう。
「また、山においでよ」。
その言葉は、どんなに絶望しても、決して諦めてはいけない、後悔するような選択をしてはならない、という、彼の持つ力強い言葉。だからこそ、登山は止められない。絶望に打ちひしがれても、達成した時の喜びと開放感は、達成した者のみが得ることが出来る、特権なのだから。
基本的には、山で遭難したり、怪我や病気になった人たちの救助や手当業務が主ですが、登山を通じて、人の想いや悩み、葛藤を、時に穏やかに、時に鋭く描いていますので、色々な世相から支持を受けている作品であると思います。
主人公の三歩は、登山技術や緊急時の対応処置は勿論のこと、世界の名峰を登ってきたため、山については広く深く、まるで自分自身のように知っているし、さらには山を取り巻く気候変動についても深い知識を持っています。そして、それに慢心することなく、敬意を表しながら、山に、そして登山者に接する。でも、それ以上に、彼は多くの怪我人や病人、果ては死者にも接しています。だからなのか、務めて朗らかに、務めて大らかに、少しでも自分が受けてきた闇や痛みを人に見せまいとする努力が込められているように思います。
それが、初対面の人にとっては、「何じゃい、このふてぶてしく馴れ馴れしくちゃらんぽらんそうな男はっ」と思われてしまうのでは、と。きっと、彼自身も、そういう自分を演じているのに、戸惑いもあるかもしれませんが、「そうしなければやっていけない」という葛藤の方が強いのでしょう。
そして、何よりそんな、ふてぶてしく馴れ馴れしくちゃらんぽらんそうな男を、小栗旬が演じるということにビックリ! 正直、鑑賞している側からすると、「似合わねー、舞台俳優のような演じ方をする俳優さんが演じるのは似合わねー」と思ってしまいました。それはそれでアリなのかもしれませんが、全く受け付けなかったわけではなかったにせよ、どこかで違和感を感じてしまったのは事実です。う~ん。。。
さて、物語はというと、島崎三歩というより、どちらかというと、山岳救助隊の新人として入隊した、椎名久美の視点で描かれています。警察官としての知識や使命感、これまで培った体力等に自信はあっても、平地での仕事とは全く異なる山岳救助という仕事。素人目線であるからこそ、鑑賞する側からも素直に受け入れられるのではないかと思います。
そして、舞台は主に冬の北アルプスで繰り広げられ、主に救助活動にあたっていますが、視点は常に人間模様。山に魅せられて登った者、絆を深めるために登った者、何かをなすために登った者。物言わぬ山は、まるでそんな彼らを暖かく迎え入れるよう、というように思うかもしれませんが、基本的に山は何もしない。恩恵を与えるわけでもなく、意図的に罰するわけでもなく、淡々と自然の摂理のままに人に接する。そしてそのたびに、人は己の無力感に襲われ、苛まれ、絶望し、平伏し、それでも尚、人は抗います。
刻々と変わる天候の中で、時間を延ばせば延ばすほど生存できる確率が下がる中で、それでも迫られる選択。「そうしなければならない」という選択を迫られた時、人は、どんなに苦しく、どんなに辛い思いをするのでしょう。それでも自然は、決して慈悲の手を差し伸べてはくれない。だからこそ、己の運命と未来を切り開くには、自分自身でしかできないことに気付くのではないか、と思います。
人間の手にはどうしようもないことは、これまでもそうでしたし、そしてこれからもそうなのでしょう。それでも抗って生きていく。だからこそ、人間は美しい。だからこそ、三歩は、たとえ遭難者を発見した時、すでに事切れていたとしても、「よくがんばった」という声をかけるのでしょう。
「また、山においでよ」。
その言葉は、どんなに絶望しても、決して諦めてはいけない、後悔するような選択をしてはならない、という、彼の持つ力強い言葉。だからこそ、登山は止められない。絶望に打ちひしがれても、達成した時の喜びと開放感は、達成した者のみが得ることが出来る、特権なのだから。
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