震度7 。
宮城県北部、岩手県南部の沖合いで発生した、類を見ないほどの巨大な地震。被災された方は、心よりお悔やみ申し上げます。というか、それ以外に何と声をかけたらいいか分からないくらいの惨状が、テレビ越しで分かりました。
その影響は東京でも大きく、東京23区で震度5強。建物の破損や一部の崩壊、ましてや死者まで出てしまうほどに。幸い、僕自身や家族には怪我も被害も無く、会社でも何ら損害が発生しませんでしたが、経験したことの無い揺れに、出来る限りの冷静な対応をしたとはいえ、恐怖に身を強張らせるばかりでした。
東京及び周辺のJR・私鉄・地下鉄は軒並みストップ。しかもJRは地震発生から終電まで復旧の目処が立たない状態に。辛うじてバスが動いていましたが、バス停から歩道橋を跨って道路の向こう側までの長蛇の列が出来、一体どこが末尾なのかが分からない。
職場から自宅まで約8kmであり、週末というしんどさを抱えながらも、徒歩で帰ることにしました。
結局のところ徒歩での帰宅が大正解。幹線道路は軒並み大渋滞で、バスやタクシーも全くと言っていいほどつかまらない。帰宅するまでに、5~6台のバスを追い抜かしてしまいました。。。
道は、一目散で家路に就く人達でごった返し、コンビにではパンやおにぎりが全滅状態。ただ、特別大きな混乱はありませんでしたし、何より、
「特に女性の方ー! トイレありますー! どうか使ってくださーい!」
「おにぎり作りましたー。食べていってくださーい」
「休憩所ありまーす。毛布も用意してありますので家が遠い方はどうぞー!」
要請されたわけでもなく、NPOやNGOの団体というわけでもない。沿道に事務所を構える、普通の企業だったり、ビルだったり、中には民家だったり。皆自発的に、道行く人達に対して、自分達が出来る手助けをしらっしゃいました。
寒空の下、煌々と照らされる月と足早に急ぐ人達。無機質な車のライトの列。そんな中での、暖かく差し伸べられた手。無縁社会だ、核家族だ、孤立した関係だ何だのと言われていますが、ちゃんとあるじゃないですか、人と人との想いと繋がりが。
なんだかんだ言って、やっぱり人間は逞しい。もの凄いへこたれそうな境遇に何度も何度も遭遇しても、その都度這い上がってくる。きっと一人ではそれは難しいけれど、たとえその人が今初めて見知った人でも、共に助け、助けられ、助け合うことが出来るのなら、きっと乗り越えられる、そんなじんわりと心の温まる想いを感じた帰路でした。
私は再び、日の下にむなしさのあるのを見た。
ひとりぼっちで、仲間もなく、子も兄弟もない人がいる。それでも彼のいっさいの労苦には終わりがなく、彼の目は富を求めて飽き足りることがない。そして、「私はだれのために労苦し、楽しみもなくて自分を犠牲にしているのか。」とも言わない。これもまた、むなしく、つらい仕事だ。
ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。
どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。
また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。
もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。
宮城県北部、岩手県南部の沖合いで発生した、類を見ないほどの巨大な地震。被災された方は、心よりお悔やみ申し上げます。というか、それ以外に何と声をかけたらいいか分からないくらいの惨状が、テレビ越しで分かりました。
その影響は東京でも大きく、東京23区で震度5強。建物の破損や一部の崩壊、ましてや死者まで出てしまうほどに。幸い、僕自身や家族には怪我も被害も無く、会社でも何ら損害が発生しませんでしたが、経験したことの無い揺れに、出来る限りの冷静な対応をしたとはいえ、恐怖に身を強張らせるばかりでした。
東京及び周辺のJR・私鉄・地下鉄は軒並みストップ。しかもJRは地震発生から終電まで復旧の目処が立たない状態に。辛うじてバスが動いていましたが、バス停から歩道橋を跨って道路の向こう側までの長蛇の列が出来、一体どこが末尾なのかが分からない。
職場から自宅まで約8kmであり、週末というしんどさを抱えながらも、徒歩で帰ることにしました。
結局のところ徒歩での帰宅が大正解。幹線道路は軒並み大渋滞で、バスやタクシーも全くと言っていいほどつかまらない。帰宅するまでに、5~6台のバスを追い抜かしてしまいました。。。
道は、一目散で家路に就く人達でごった返し、コンビにではパンやおにぎりが全滅状態。ただ、特別大きな混乱はありませんでしたし、何より、
「特に女性の方ー! トイレありますー! どうか使ってくださーい!」
「おにぎり作りましたー。食べていってくださーい」
「休憩所ありまーす。毛布も用意してありますので家が遠い方はどうぞー!」
要請されたわけでもなく、NPOやNGOの団体というわけでもない。沿道に事務所を構える、普通の企業だったり、ビルだったり、中には民家だったり。皆自発的に、道行く人達に対して、自分達が出来る手助けをしらっしゃいました。
寒空の下、煌々と照らされる月と足早に急ぐ人達。無機質な車のライトの列。そんな中での、暖かく差し伸べられた手。無縁社会だ、核家族だ、孤立した関係だ何だのと言われていますが、ちゃんとあるじゃないですか、人と人との想いと繋がりが。
なんだかんだ言って、やっぱり人間は逞しい。もの凄いへこたれそうな境遇に何度も何度も遭遇しても、その都度這い上がってくる。きっと一人ではそれは難しいけれど、たとえその人が今初めて見知った人でも、共に助け、助けられ、助け合うことが出来るのなら、きっと乗り越えられる、そんなじんわりと心の温まる想いを感じた帰路でした。
私は再び、日の下にむなしさのあるのを見た。
ひとりぼっちで、仲間もなく、子も兄弟もない人がいる。それでも彼のいっさいの労苦には終わりがなく、彼の目は富を求めて飽き足りることがない。そして、「私はだれのために労苦し、楽しみもなくて自分を犠牲にしているのか。」とも言わない。これもまた、むなしく、つらい仕事だ。
ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。
どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。
また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。
もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。
『伝道者の書 第4章』より
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