最初の方のシーンの、如月行の台詞が頭から離れない。
今の日本の姿を、ひいては、今の自分の姿を投影しているようで。
スクリーンの向こう側に見えるのは、大抵が非現実空間だ。
現実社会の喧騒を忘れ、エンターテインメントを求めて、人は映画を観る。
現実の物語に沿った内容でも、それはドキュメンタリーか、過去のノンフィクションを題材にした映画だ。
「これから先、本当に起こるかもしれない」と思わさせる映画は、皆無に等しい。でも『亡国のイージス』は、本当にそう思ってしまった。
『ローレライ』や『戦国自衛隊』に比べて、よりリアルな描写だから、というのもあるが、
前に『日本人から奪われた国を愛する心』という本を読んだ後だからか、その印象がものすごく濃く刻まれている。
『将来起こり得る現実』を目の当たりにして、暫く頭が痛かった。こんなに『疲れる』映画というのも初めてだ。
原田芳雄が内閣総理大臣役を務めているが、パンフレットに掲載されたインタビューにこう述べている。
「最高権力者の椅子のなんという居心地の悪さよ
「戦争」の当事者とは、「国」でも「政府」でもなく脳みそ打ち抜かれ腸はみ出して傷つき死して行く者たちである。」
誇りや恥を捨てて、敵の要求を呑めば、数千万数億という人が犠牲を被らずに済む。
しかし、国としての誇りや威信にかけた行動をすれば、それらの命は悉く奪われるかもしれない。
同じ赤い血の通っている人間に、こんな選択を迫られて、その結果に、国民は決断を下した首長に対し罵倒する事が出来るだろうか。
本当にこの国を愛しているのなら、ずっと住み続けて生きたいと思うのなら、「税金払っているんだから国を守るのは政府の役割」なんて他人任せにせず、自分達も一緒になって考えていくべきなのではないだろうか。
この国の行く末を決めるのは、紛れも無くこの国に生を受けた僕たちなのだから。
そういえば、前に『沈黙の艦隊』を読んで、↓なシーンを思い出しました。
「大海原のど真ん中。リーダーの貴方と、仲間の3名は、同じボートに乗って何日も漂流し続けています。
そばを通る船も、飛行機も見当たりません。助けを求めようにも求められません。
見渡す限りの大海原。陸地どころか、島すら見えません。
食料はまだ数日分は確保できますが、それでも、底をつきかけています。
そんな絶望的な状況の中、仲間に一人がある致死性の感染症に侵されました。
放っておけば、いつ、自分も含め他の仲間も感染するかわかりません。
その一人を隔離すれば、全員死なずに済むかもしれませんが、狭いボート。
隔離の仕様がありません。
さて、貴方はどうしますか?」
1.一人でも生き残らせるため、感染した一人の仲間を見捨てる。(=海に投げ捨てる)
2.運命共同体として、全員感染して死を待つ。
3.何としてでも全員が助かる方法を模索する。
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