広大な砂漠地帯に、上空からの指示が無ければ描くことのできない巨大な地上絵の数々。描かれた時代は、飛行文明が栄えるどころか、誕生する遥か昔。
一体誰が、何のために描いたのか。手がかりも痕跡も残されていないこの謎は、今も尚、考古学者を虜にして止みません。
この展示会は、地上絵の謎を解明しよう、という目的ではなく、ナスカ文化やその時代の世界観の紹介、さらに、今まさに消えつつあるナスカ文化を、如何に保護していくか、そのために私たちに何が出来るか、といったことに焦点を当てた展示会です。
なので、終始地上絵にまつわるエピソード等が展示されているのかと思いきや、砂漠から発掘された数々の土器や文明の利器、果てはミイラまで展示されていて。でも、それはそれで非常に興味を持って鑑賞することが出来ました。
やはりナスカという地は、見渡す限りの不毛な砂漠ですから、何よりも雨や水といったものに敬意を払ったのでしょう。だから、土器に描かれる絵も、自然界のもの、とりわけ、『水』を印象付けるもの、たとえば、蛙だったり、ハチドリだったり。中には、海の王者シャチが描かれている土器も。
また、部族間抗争で獲得した、対峙勢力の首級に対しても、丁重に葬る習慣も、このナスカ文化独特のものなのかもしれません。
人と自然を何よりも重んじた当時の人の生活振りを窺わせます。
今、ナスカ文化は消滅の危機に瀕しているんだそうです。
変わりやすい砂漠の自然環境以上に、人の手で踏み荒らした後が原因だとか。
縦横無尽に駆け回るバイクのタイヤの後が、過去の英知を無残な姿に変えていくのは、何もナスカ文化だけのことではありません。
過去は、未来を築き上げるための糧です。過去なくして未来は有り得ません。昔の人が作り上げた数々の英知。それは、未来のために託したものです。ただ単に綺麗だからとか貴重だからではなく、未来を作り上げるのに大切だから、過去の文化を残し、時に修復活動を行っているんだと思っています。
過去の遺産をどう未来につなげていくか、この展示会は、そんな命題を見る者に投げかけています。
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小説・映画に登場する名画に隠された暗号や解釈、様々なアイテムや教会、修道院の細かい紹介・展示がされている展覧会です。
そして予想していた通り、映画を観ただけでは何にどのような繋がりがあるのか、よく分からない構成になっておりました。
それもそのはず。映画は小説のコンパクト・サイズ版なのですから、ダ・ヴィンチの作品に隠された表現や比喩、キリスト教の影でシオン修道会が綴ってきた数々の謎より、小説の軸となる『サスペンス』を主に取り上げているのですから。
あくまで、映画にとってみれば、名画や施設は単純なスパイス。
でも、小説を読んで、この展覧会を観て、改めて確信しました。映画『ダ・ヴィンチ・コード』の展開はあまりにも速すぎて、『1本の映画』として収めようと躍起になっていたこと。
もちろん、予算の関係とか俳優のスケジュールとかもあるのでしょうけれど、前編・後編というふうに複数構成の映画の方が、より映画としての深みを得る事が出来るし、逆に、キリスト教徒でない観客に、小説には無いオリジナルの物語を織り込む余地があったと思うのです。個人的にですが。
小説、映画、展覧会。その位置づけといえば、小説がまず骨子。それをビジュアル化したのが映画。小説の脇役部分を深く掘り下げたのが展覧会です。
構成も主に2つに分かれていて、1つ目が、主にダ・ヴィンチが遺した絵画や、シオン修道会の資料から読み取れる謎の解明(もちろん、完全ではなく憶測の領域を超えないのですが……)
2つ目が、実際の『ダ・ヴィンチ・コード』に登場するキャラクターが、フランス・イギリスの数々の史跡や施設を駆け巡りますが、その一つ一つをスポットに当てたものです。
まあ、言うなれば、よくある『ダ・ヴィンチ・コードの秘密』といった本のヴィジュアル化、という感じでしょうか。ただし、1つ目は単に芸術的解釈からの見解で、『ダ・ヴィンチ・コード』での解釈寄りに解説されてはいません(まぁ当然ですが……)。そういう意味で、ニュートラルな視点で、『ダ・シンチ・コード』を鳥瞰図的に楽しむ事が出来る展覧会です。
これは、小説を読んでいれば、映画を観ても観ていなくてもどなたでも楽しめると思います。
しかも、ソフィー所有のスマートカー(実寸代)も展示してあります。
クリプテックスの体験コーナーもありますが、まぁ小説を読んでいらっしゃる方であれば、難しい問題ではありません……
■ 福島以北に行った事が無いので、何かの機会に行ってみたい
■ 近場の桜も美しいが、たまには遠出で桜を愛でたい
というわけで、青森県は弘前市の、弘前城が鎮座坐します弘前公園へ行ってきました。
折りしも、ゴールデンウィークは北東北は桜のシーズン。その上、桜の名所ともあって『さくら祭り』が催されており、地元住民はもちろん、全国各地より大勢の観客が花見見物のためにやってくるわけですから、折り紙付の混雑が予想されるわけです。
別にその混雑を予想していたわけではありませんが、夜行バスでの移動 → 朝の内に花見 というコースを取っていたため、大きな混雑に巻き込まれる事無く、比較的スムーズに園内の桜を見ることが出来ました。
もちろん、随所でライトアップの明かりが用意されていましたから、夜桜も艶やかなので綺麗なのでしょう。その桜の下で無節操に騒ぐ輩を除けば。
というわけで、弘前公園をゆっくり散歩しながら桜を愛でる場合は、夜行バスで行くとか、一旦ホテルで一泊して朝の散歩がてらに行ってみる、というのをお勧めします。
また、この日は空気がとても澄んでて、雲も全くといっていいほどない快晴でしたので、公園西方の岩木山がとても綺麗に見えました。
![天守閣からの眺め - 其の二](/Img/1155872830/)
弘前城天守閣と天守閣からの眺め
![弘前城の桜 - 其の三](/Img/1155873019/)
弘前公園に植えられた桜の品種は約50種。日本最古のソメイヨシノも
ちなみに、天守閣は300円もしながら中はとっても狭く、展示物を細々と見ても、10分かそこらで見て回れるような広さでした。 orz
天守閣から岩木山の一望は素晴らしかったのが唯一の救い……だったと思います。多分。
また、この時期の開花状況として、公園東側は五部咲き~七部咲きと、見頃を迎えています。公園西側の桜トンネルは、良くて五部咲きといった感じで、桜トンネルを通る人もまばらでした。
枝垂桜についても、薄紅色の品種については五部咲き~七部咲き、濃紅色の品種については、まだ一部咲きにも満たないものもありますので注意が必要です。
ソメイヨシノと少しずれた時期に開花するので、『桜』という一括りで愛でるには、結構長い時期楽しむ事が出来ると思いますが、「全部を同時に」というのは(場所にもよりますけれど)難しいかもしれません。
ちなみに、りんごの花は桜が散った後なんだそうです。
午後になって弘前公園が混雑し始めたこと、また午前中に園内の大半を回った事から、りんご公園に足を伸ばそうと考えておりましたが、まだ花は咲いていないという事なので断念。
まあ、これはまたの機会に。秋に行ってもいいかもしれませんね。
■ 近場の桜も美しいが、たまには遠出で桜を愛でたい
というわけで、青森県は弘前市の、弘前城が鎮座坐します弘前公園へ行ってきました。
折りしも、ゴールデンウィークは北東北は桜のシーズン。その上、桜の名所ともあって『さくら祭り』が催されており、地元住民はもちろん、全国各地より大勢の観客が花見見物のためにやってくるわけですから、折り紙付の混雑が予想されるわけです。
別にその混雑を予想していたわけではありませんが、夜行バスでの移動 → 朝の内に花見 というコースを取っていたため、大きな混雑に巻き込まれる事無く、比較的スムーズに園内の桜を見ることが出来ました。
もちろん、随所でライトアップの明かりが用意されていましたから、夜桜も艶やかなので綺麗なのでしょう。その桜の下で無節操に騒ぐ輩を除けば。
というわけで、弘前公園をゆっくり散歩しながら桜を愛でる場合は、夜行バスで行くとか、一旦ホテルで一泊して朝の散歩がてらに行ってみる、というのをお勧めします。
また、この日は空気がとても澄んでて、雲も全くといっていいほどない快晴でしたので、公園西方の岩木山がとても綺麗に見えました。
弘前城天守閣と天守閣からの眺め
弘前公園に植えられた桜の品種は約50種。日本最古のソメイヨシノも
ちなみに、天守閣は300円もしながら中はとっても狭く、展示物を細々と見ても、10分かそこらで見て回れるような広さでした。 orz
天守閣から岩木山の一望は素晴らしかったのが唯一の救い……だったと思います。多分。
また、この時期の開花状況として、公園東側は五部咲き~七部咲きと、見頃を迎えています。公園西側の桜トンネルは、良くて五部咲きといった感じで、桜トンネルを通る人もまばらでした。
枝垂桜についても、薄紅色の品種については五部咲き~七部咲き、濃紅色の品種については、まだ一部咲きにも満たないものもありますので注意が必要です。
ソメイヨシノと少しずれた時期に開花するので、『桜』という一括りで愛でるには、結構長い時期楽しむ事が出来ると思いますが、「全部を同時に」というのは(場所にもよりますけれど)難しいかもしれません。
ちなみに、りんごの花は桜が散った後なんだそうです。
午後になって弘前公園が混雑し始めたこと、また午前中に園内の大半を回った事から、りんご公園に足を伸ばそうと考えておりましたが、まだ花は咲いていないという事なので断念。
まあ、これはまたの機会に。秋に行ってもいいかもしれませんね。
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亀戸天神社に行ってまいりました。
初夏の訪れを告げる藤の花が見頃になり、ゴールデンウィークも手伝ってか、都内で1・2を誇る藤の名所の亀戸天神社は、藤を愛でる人で大賑わいでした。
桜と違って、花の真下で日本酒を飲み交わしながらドンチャン騒ぎを仕出かす野卑な輩はいないものの、この豪華絢爛とは一線を画した、艶やかでも少し控えめな雰囲気を醸し出すこの花を観賞する人達といったら、
もう、周囲の過半数がじっちゃんばっちゃん。
巣鴨ですかココはっ! と叫びたくなるくらい。
桜の花見はするのに、藤の花見はあまりしないのですかね。>若い方々
(あ、でも親子連れはそこそこ居た)
まあ変に騒がれるより、暖かな日差しの下で、池にかかる赤い欄干の太鼓橋を歩き、境内をぐるりと回りながら藤を愛でるのもまた一興。
彼岸も過ぎ、桜の若葉も芽吹き、もうすぐ暑い夏がやってきます。
初夏の訪れを告げる藤の花が見頃になり、ゴールデンウィークも手伝ってか、都内で1・2を誇る藤の名所の亀戸天神社は、藤を愛でる人で大賑わいでした。
桜と違って、花の真下で日本酒を飲み交わしながらドンチャン騒ぎを仕出かす野卑な輩はいないものの、この豪華絢爛とは一線を画した、艶やかでも少し控えめな雰囲気を醸し出すこの花を観賞する人達といったら、
もう、周囲の過半数がじっちゃんばっちゃん。
巣鴨ですかココはっ! と叫びたくなるくらい。
桜の花見はするのに、藤の花見はあまりしないのですかね。>若い方々
(あ、でも親子連れはそこそこ居た)
まあ変に騒がれるより、暖かな日差しの下で、池にかかる赤い欄干の太鼓橋を歩き、境内をぐるりと回りながら藤を愛でるのもまた一興。
彼岸も過ぎ、桜の若葉も芽吹き、もうすぐ暑い夏がやってきます。
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チェックアウトの前に、朝の出雲大社とその周辺を散策。
新年の陽の光に照らされた拝殿と本殿は、神話に出てくる「社」のそれと同じような、神々しい光を放つ。夜の帳がかけられた闇の出雲大社では見ることができなかった、数々の彫像も、陽の光を浴びてその姿を現す。
奥の彰古館は、どこもかしこも見渡す限り大国守大神(大黒天)の彫像がズラリ。七福神の一人をここまで多くの彫像として残すのは珍しいかもしれない。
また、出雲大社から西へ少し歩いたところに、出雲阿国の墓もある。
チェックアウト後は、日御碕へ。出雲大社からバスが出ており、日の岬へ行く道中の海と岩と松のコントラストが美しい。雲ひとつない空と、朝の陽の光にキラキラと輝かせながら穏やかに波打つ海。そして、それをただ一人、孤高なまでに見つめる赤銅色の岩と松。
つんざくような寒さと、波以外に音という音がない世界。自然が織り成す美しさの神秘は、こんなところにも隠れていた。
日御碕神社を経由して、日御碕遊歩道(うみねこ遊歩道)へ。貴重なウミネコの一大生息地である経島は、見渡す限りのウミネコウミネコウミネコ (以下略)。
ウミネコのオンパレードは、遊歩道を歩いてもしばらくは続く。
さらに進み、日御碕灯台へ。純白の灯台がお出迎え。
43.65mの高さは、山陰地方の灯台の中でも最大の高さを誇るという。頂上へ登った景色が360度の大パノラマで素晴らしい。遥か日本海の彼方、薄く霧がかっている水平線まで見ることができる。
空港に向かう帰りのタクシーの中で、島根の景色を名残惜しみながら眺めていた。その間、タクシーの運転手さんと島根の伝説について話し合う(まだ分からないところが多いので、ほとんどは僕は頷くだけであるが)。それによると、素戔嗚尊が祀られている日御碕神社は、商売繁盛や事業成就として伝えられている神社だという。また、この系列の神社は、中国山脈をはじめとして中国地方に点在しているらしいのだ。社会人である僕のとって、あまり時間がなかったとはいえ、滞在時間が短かったのは少し痛かったような気がする……。
また、運転手さんの話によると、島根~東京の上空間で『涙目の湖』を見ると、幸福が訪れるらしいという。行きの飛行機の中で見たような気がするが…… 帰りの飛行機では、残念ながら確認することができなかった。
最後に。
僕は別に信心深いわけでもなければ、何かの宗教に没頭しているわけでもない。確かに、それぞれの宗教にはそれぞれの教えに魅力があるし、美しく荘厳な造形物もある。没頭はしていないけれど、それでも魅了されるのは、信仰心のある人々の心に触れたからなのだと思う。伝説や名神が生み出す、サイコロジカルな精神社会。それこそが、ここが『神話の息づく国』と語られる由縁なのだろう。
たとえ創造の領域であったとしても、目の前にあるものが、あるいは、目に見えるものが真実とは限らない。と、昔の人々は思っていたのだろう。そういう意味で言うと、昔の人々のほうが、今よりももっと科学的で探究心に溢れていたのかもしれない。科学が発展しすぎて、謎と言われてきたことが当たり前になってきた今にとって、昔の人々が信じてきた「考え」や「迷信」は、これからの未来を進んでいくための、活力に成り得るかもしれない。
新年の陽の光に照らされた拝殿と本殿は、神話に出てくる「社」のそれと同じような、神々しい光を放つ。夜の帳がかけられた闇の出雲大社では見ることができなかった、数々の彫像も、陽の光を浴びてその姿を現す。
奥の彰古館は、どこもかしこも見渡す限り大国守大神(大黒天)の彫像がズラリ。七福神の一人をここまで多くの彫像として残すのは珍しいかもしれない。
また、出雲大社から西へ少し歩いたところに、出雲阿国の墓もある。
チェックアウト後は、日御碕へ。出雲大社からバスが出ており、日の岬へ行く道中の海と岩と松のコントラストが美しい。雲ひとつない空と、朝の陽の光にキラキラと輝かせながら穏やかに波打つ海。そして、それをただ一人、孤高なまでに見つめる赤銅色の岩と松。
つんざくような寒さと、波以外に音という音がない世界。自然が織り成す美しさの神秘は、こんなところにも隠れていた。
日御碕神社を経由して、日御碕遊歩道(うみねこ遊歩道)へ。貴重なウミネコの一大生息地である経島は、見渡す限りのウミネコウミネコウミネコ (以下略)。
ウミネコのオンパレードは、遊歩道を歩いてもしばらくは続く。
さらに進み、日御碕灯台へ。純白の灯台がお出迎え。
43.65mの高さは、山陰地方の灯台の中でも最大の高さを誇るという。頂上へ登った景色が360度の大パノラマで素晴らしい。遥か日本海の彼方、薄く霧がかっている水平線まで見ることができる。
空港に向かう帰りのタクシーの中で、島根の景色を名残惜しみながら眺めていた。その間、タクシーの運転手さんと島根の伝説について話し合う(まだ分からないところが多いので、ほとんどは僕は頷くだけであるが)。それによると、素戔嗚尊が祀られている日御碕神社は、商売繁盛や事業成就として伝えられている神社だという。また、この系列の神社は、中国山脈をはじめとして中国地方に点在しているらしいのだ。社会人である僕のとって、あまり時間がなかったとはいえ、滞在時間が短かったのは少し痛かったような気がする……。
また、運転手さんの話によると、島根~東京の上空間で『涙目の湖』を見ると、幸福が訪れるらしいという。行きの飛行機の中で見たような気がするが…… 帰りの飛行機では、残念ながら確認することができなかった。
最後に。
僕は別に信心深いわけでもなければ、何かの宗教に没頭しているわけでもない。確かに、それぞれの宗教にはそれぞれの教えに魅力があるし、美しく荘厳な造形物もある。没頭はしていないけれど、それでも魅了されるのは、信仰心のある人々の心に触れたからなのだと思う。伝説や名神が生み出す、サイコロジカルな精神社会。それこそが、ここが『神話の息づく国』と語られる由縁なのだろう。
たとえ創造の領域であったとしても、目の前にあるものが、あるいは、目に見えるものが真実とは限らない。と、昔の人々は思っていたのだろう。そういう意味で言うと、昔の人々のほうが、今よりももっと科学的で探究心に溢れていたのかもしれない。科学が発展しすぎて、謎と言われてきたことが当たり前になってきた今にとって、昔の人々が信じてきた「考え」や「迷信」は、これからの未来を進んでいくための、活力に成り得るかもしれない。
『島根県』の写真集についてはこちら