この夏も靖国神社は、劈くような蝉の鳴き声が、至る所で鳴り響いていました。まるで、戦地に没した英霊が、蝉に姿を変えて、かつての戦友に会いに来たかのように。
戦争は、言うまでもなく人殺し。
多かれ少なかれ、誰かが誰かを傷つけ、誰かが誰かを殺しました。
たとえ命令を下す、指揮を執る立場にいた者でも、直接武器を手にしていなくても、戦陣に赴いた者は、何らかの形で、人を殺しました。
戦争が罪だと言うのであれば、あの時、あの戦いに馳せ参じた者は、全員が罪人。いかなる民族や人種関係なく、全員が裁かれるべきでした。いや、裁く側ですら戦争の加担者、つまり罪人なのですから、誰も、誰かを裁く権利なんて無かった。
なのに 。
「歴史は常に勝者によって書き換えられる」
過去、人間が何回も何回も犯してきた過ちは、結局ここでも繰り返されてしまいました。真実は白。虚偽は黒。けれども『勝者』の言であれば、たとえ黒でも真実になる。
人間の、人間としての誇りや尊厳は、『敗北』と共に略奪され、踏みにじられる。
時が、熱狂と、偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を
剥ぎとった暁には、その時こそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう。
『パール判決書』より抜粋
広島平和記念公園の炎は、世界から核が廃絶されるまで、決して消えることはありません。同じように、世界からこの言葉が現実のものとなるまで、この言葉は、決して過去の産物にはらなず、今も尚、人々の心に宿ります。
戦争は罪。起こってしまった罪。決して変えることのできない罪。
でも、真実を虚偽の中に封印することも、また罪。
英霊達の御霊が、本当の意味で安らかに眠れる日は、真実と、そして、失われた誇りや尊厳を取り戻した日なのではないか。その時こそ、先人達が残したかった『日本という国』を、次の世代に譲り受けられるのではないか。そう思います。
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石原莞爾の戦争史大観っていう本を最近読んでます。
勉強になりますよ。
僕は、決して戦争を美化するつもりはありませんが、きっと、時の指導者もそうだったんでしょうね。
戦争は罪。でも、国を背負う者としては、時として、罪を選ぶ必要がある。
その選択することによる罪の重さ、覚悟、責任は、想像を絶するものだったに違いありません。
『戦争戦争史大観』、ご紹介有難うございます。
是非、読んでみたいと思います。
>戦後はいつまでもつづいていくのでしょうねえ。
>
>石原莞爾の戦争史大観っていう本を最近読んでます。
>勉強になりますよ。