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2026/04/02 04:23 |
[Review] Mr.&Mrs. Smith

Mr.&Mrs. Smithアクション映画というよりかは、コメディ映画ですね。史上最強にして最凶の夫婦喧嘩です。

ただ、銃撃戦ばかりが目立っていたので、僕個人としては、『オーシャンズ11』のように色々なトラップが張り巡らされていて、それを次々と突破していくとか更に裏をかいて次なる罠に陥れるとか、そういうのがあったらもっと面白かったな、と思うのですが。
まぁ、そこまですると夫婦喧嘩に成り得ないのでやり過ぎですかね……

話の流れはシンプルで先を読み易かったのですが、コメディのやり取りが笑えたのでOKです。
特に、お互いの素性がバレた夜の夕食の時間とか。会話は正に円満夫婦そのものですが、目と行動がお互いの素性を探ろうとして、全然会話と一致していないところが。


まぁどんなに円満そうに見える夫婦やカップルだって、所詮は人間。隠し事の一つや二つぐらいあるはずなんですよ。それが夫婦生活に支障をきたす事がない範囲内だったら、二人の仲に亀裂が入るリスクは少ないかと思いますが、折りしも二人は暗殺者。普通の生活とは全くかけ離れたもう一つの生活がある。
スリルと脅威に満ち溢れた生活に一旦興奮を覚えてしまうと、穏やかな生活にギャップを感じ、倦怠感が出てくるものなんですね。
その隠し事のヴェールを取り払ってしまい、互いの伴侶も暗殺者でしかも自分を狙っている、なんていうのが分かったらどうでしょう? 退屈な夫婦生活さえもスリル満点の生活に。互いに望んでいた時間と空間が、家の中でも繰り広げられる。

勝手な想像ですが、だから二人が互いを殺そうとした時、どこか嬉しそうだったんですね。
その後の展開で、二人の結婚生活の嘘をバラ撒くシーンも、どこか『新春・芸能人大暴露大会』よろしく、これ見よがしに自分が今までついた嘘を暴露するところも。

たがが外れた夫婦の、恐ろしい事恐ろしい事。(笑)

 

※正解 : 「ハチミツとクローバー」

 



ハチクロと聞いて、「八兵衛と黒兵衛」だと思ったのは僕だけではないはずだ。


Cyberです。(←女心全然分カッテナイ orz)

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2006/01/07 23:45 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] ザスーラ
ザスーラ個人的に、この冬一番の楽しめる映画だと思います。とにかく、全編にかけて面白かった!!


プレイヤーが出た数字の目の通り進むボードゲーム、というのは、通常のボードゲームの設定通り。それが現実となって具現化されるのは、10年前に公開された『ジュマンジ』では地球上での出来事を、今度は宇宙で繰り広げられる。
しかも、(海外のボードゲームはよく分かりませんが)通常ボードゲームは、盤面に指示の内容が書いてあるもの。『ザスーラ』ではスロットから出てくるカードに指示内容が書かれてあるから、カードが出てくるまで本当に何が起こるか分からない。正にパルプンテの真骨頂!(意味分かりません)

宇宙空間を舞台にしているので、次々と訪れるアクシデントのスケールの大きさがでかすぎます。そんな中を、たった一軒のホツンとした家屋と、二人の幼い兄弟が乗り越えていくんだからスゴイ。
ある程度、『ありえない展開』というのは予想していたのですが、それを大きく上回る出来事の数々に、笑わずにいられませんでした。
流星雨が降ったり、超重力の星の接近したり。突然飛行士が訪れたかと思ったら、ロボットが巨大化したり部屋が凍結したり。あまつさえ巨大宇宙船の侵略。そのハチャメチャ度は、最後が容易に想像つくことを補って余りあるものでした。


そして、色々な試練を乗り越える度に、太く頑丈につながれる兄弟の絆。
弟を見下す兄と、構ってくれない兄にヤキモキする弟。ゲームをしたての頃は、普通の人間の考えよろしく、「何で僕がこんな目に」と思い、互いに互いの所為にしながらゲームを進めていきますが、やっぱり、こういう身の毛もよだつほどの局面に差し迫られれば、団結して問題解決していくものです。
特に最後は、割と心温まる展開が待っていました。

兄弟喧嘩が絶えないお子さんをお持ちの、悩めるご両親には、是非、お子さんを連れて観ていただきたい映画です。面白さ満載の内容と、兄弟の大切さが一緒に分かる、そんな映画だと思います。

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2006/01/06 23:53 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] キング・コング
キングコング『キング・コング』のラストを観て、昔見たオムニバス形式のとあるマンガで、下記の物語を思い出しました。


海外旅行と同じ感覚で宇宙に行くことが出来る遠い未来。でもそこに住む人間は、科学の進歩のあまり他人を思いやる心を失ってしまっている。
物語のヒロインは、ある日仕事で自分の作業衣がギアに挟まってしまう。作業衣のみならず体ごと引き込まれそうになるが、他の作業員は一切関わることなく、淡々と仕事を続けている。そこを間一髪助けた青年。しかし彼はアンドロイドだった。
人間とアンドロイド。相容れない存在と知りつつも互いに愛し合う。しかし、そのアンドロイドは罪を犯した手配中の犯人だった。ヒロインと一緒に逃げるアンドロイド。車で逃走中、誤ってヒロインが車から落ちてしまう。アンドロイドが助けようとしたところで、警官の銃によって蜂の巣にされ、破壊されてしまう。この時の警官の一言。

「何でコイツはこの女を助けるために引き返したんだろう? ほっといてそのまま逃げれば助かったものを」



最初はヒロインのアンを荒々しくつかみ、豪快に振り回すキング・コングも、ヒロインと触れ合っていくうちに、次第にその接し方も丁寧に、愛情を込めるものになっていく。
こういう、本能だけで生きる野獣にとってみれば、ヒロインも自分を攻撃する人間も、同じ種族である『人間』だ。しかも大多数が自分に怯え、または侮蔑の視線を浴びせ、更には攻撃してくる。彼の頭の中では、「人間は『こういう』動物なんだ」というのがインプットされているんだと思うんですよ。でも、それでも彼女だけは守ろうとした。同じ『人間』の姿をしていても、彼女だけは『違う心』を持っていた。

「自分のことを分かってくれる、理解してくれる」というのは、何も野獣でなくとも、人間も共通のことが言えると思うのです。かく言う僕も同じような経験があります。
単なる暴れん坊将軍ではなく、人間以上に豊かな感受性を持った獣の、壮絶な物語です。

1933年に上映されたオリジナルの『キング・コング』を、僕は知りません。かろうじて、1986年の『キング・コング2』は、存在自体は知っていましたが、内容は良く分かりません。
確かに、CG技術をふんだんに駆使した今作の方が、臨場感溢れる作りになっているのでしょう。でも、そういった技術が無い、全てが手探りで実写のオリジナル『キング・コング』も、ピーター・ジャクソン監督を唸らせたことから、それはオツな映画なのかもしれません。


そして、ヒロインとキング・コングの心の通わせる過程もさることながら、視覚効果が圧巻であること。昨年観た『宇宙戦争』なんて比較にならないくらい、壮大で且つリアリティに富んでいます(さすがに、多くの獣から逃げ惑う人々がなかなか踏み潰されないシーンは、シナリオや演出の所為とはいえ、疑問に思うところ満載ですが(笑))。
秘境からニューヨークに舞台を戻しても、その圧巻振りは衰えず。『スゴイ』の一言です。

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2006/01/02 23:46 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[島根] 神々の坐す国 後編
チェックアウトの前に、朝の出雲大社とその周辺を散策。


朝の出雲大社 - 其の一


新年の陽の光に照らされた拝殿と本殿は、神話に出てくる「社」のそれと同じような、神々しい光を放つ。夜の帳がかけられた闇の出雲大社では見ることができなかった、数々の彫像も、陽の光を浴びてその姿を現す。


朝の出雲大社 - 其の二


奥の彰古館は、どこもかしこも見渡す限り大国守大神(大黒天)の彫像がズラリ。七福神の一人をここまで多くの彫像として残すのは珍しいかもしれない。
また、出雲大社から西へ少し歩いたところに、出雲阿国の墓もある。


出雲阿国の墓


チェックアウト後は、日御碕へ。出雲大社からバスが出ており、日の岬へ行く道中の海と岩と松のコントラストが美しい。雲ひとつない空と、朝の陽の光にキラキラと輝かせながら穏やかに波打つ海。そして、それをただ一人、孤高なまでに見つめる赤銅色の岩と松。
つんざくような寒さと、波以外に音という音がない世界。自然が織り成す美しさの神秘は、こんなところにも隠れていた。

日御碕神社を経由して、日御碕遊歩道(うみねこ遊歩道)へ。貴重なウミネコの一大生息地である経島は、見渡す限りのウミネコウミネコウミネコ       (以下略)。
ウミネコのオンパレードは、遊歩道を歩いてもしばらくは続く。


日御碕 - 其の一 日御碕 - 其の二


さらに進み、日御碕灯台へ。純白の灯台がお出迎え。
43.65mの高さは、山陰地方の灯台の中でも最大の高さを誇るという。頂上へ登った景色が360度の大パノラマで素晴らしい。遥か日本海の彼方、薄く霧がかっている水平線まで見ることができる。


空港に向かう帰りのタクシーの中で、島根の景色を名残惜しみながら眺めていた。その間、タクシーの運転手さんと島根の伝説について話し合う(まだ分からないところが多いので、ほとんどは僕は頷くだけであるが)。それによると、素戔嗚尊が祀られている日御碕神社は、商売繁盛や事業成就として伝えられている神社だという。また、この系列の神社は、中国山脈をはじめとして中国地方に点在しているらしいのだ。社会人である僕のとって、あまり時間がなかったとはいえ、滞在時間が短かったのは少し痛かったような気がする……。

また、運転手さんの話によると、島根~東京の上空間で『涙目の湖』を見ると、幸福が訪れるらしいという。行きの飛行機の中で見たような気がするが…… 帰りの飛行機では、残念ながら確認することができなかった。


最後に。

僕は別に信心深いわけでもなければ、何かの宗教に没頭しているわけでもない。確かに、それぞれの宗教にはそれぞれの教えに魅力があるし、美しく荘厳な造形物もある。没頭はしていないけれど、それでも魅了されるのは、信仰心のある人々の心に触れたからなのだと思う。伝説や名神が生み出す、サイコロジカルな精神社会。それこそが、ここが『神話の息づく国』と語られる由縁なのだろう。
たとえ創造の領域であったとしても、目の前にあるものが、あるいは、目に見えるものが真実とは限らない。と、昔の人々は思っていたのだろう。そういう意味で言うと、昔の人々のほうが、今よりももっと科学的で探究心に溢れていたのかもしれない。科学が発展しすぎて、謎と言われてきたことが当たり前になってきた今にとって、昔の人々が信じてきた「考え」や「迷信」は、これからの未来を進んでいくための、活力に成り得るかもしれない。



『島根県』の写真集についてはこちら

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2006/01/01 18:13 | Comments(0) | TrackBack() | Outdoors
[島根] 神々の坐す国 中編
有り得ない     

何が有り得ないって、限られた時間の中で全て見尽くすことが。例え地球が終焉を迎えようとしても、見納めることは叶わないだろう。悠久の時を刻み込むだけの魅力が、足立美術館の庭園にある。窓枠という額縁の向こうに見える風景は、一度たりとも同じ様相を留めていない。春夏秋冬の四季折々の様相、陽光と月光に照らされた昼夜の様相、果ては大地の木々の揺らぎ、池の水面、大空の雲の流れの瞬間に至るまで。
また、たとえ同じ窓枠からでも、覗く角度によって違う風景を見ることができる。木々だって生長する。
と、ここまでつらつらと書いてみたものの、長年にわたる多くの庭師の努力と業の数々と、更に長きに渡る自然が創り出した風景を前に、素人の語りなど愚考に等しい。


足立美術館 - 其の一 足立美術館 - 其の二 足立美術館 - 其の三



何枚か写真を撮ってきたが、全てがベストショットに成り得る風景でありながら、決して本当の「ベスト」な時間など無いのだろう。どんな名うての写真家も、真のこの日本庭園の美しさを捉えることは、至難の業に違いない。


その後は横山大観特別展示室・北大路魯山人等の展示室へ。

『横山大観』は、山海二十題とあるように、雄大さと神秘性を兼ね備える霊峰富士と、時に荒々しく時に穏やかな海の日本画が多い。そのような絵の中で、僕が注目したものは、特に海の絵に多い『月』だ。満月、半月、三日月等様々であるが、海と共に描くことで、その月に込められた真情がよく分かる。
海は、横山大観がその時描いた身辺や社会状況を、月は、それを眺める横山大観本人のように感じられた。
友や恩師の死、太平洋戦争の世情を前に、横山大観はどのような思いを馳せていたのだろうか。月の満ち欠けが、彼の目と心を表現しているように思えた。

『北大路魯山人』の作品は、一見平凡である。形も、デザインも。でも、どれを見ても「苦しさ」を感じない。新しいものをあれもこれもつくろうという「楽しさ」があるのだ。「新しい」ものをつくり続けるというのは、通常、いつかその斬新さが失われたり、創造性が枯渇するかもしれない、という恐怖におびえるかもしれないのに、彼の作品にはそれが感じられない。
魯山人の言葉に、下記のものがある。

  個性だとか、創作だとか、口でいうのはたやすいことだが、現実に表現が物をいうような
  ことは、なまやさしい作業でなし得られるものではない。
  さあ自由なものを作って見ろと解放されたとしても、決して自由はできないものである。
  第一過去の人間が作った美術に十分心眼が開かなくては、かなわぬことである。過去と
  いっても千年も二千年も前からの美術、芸術に目が利かなくては、かなわぬことである。
  食器師だからというので、陶器ばかり観ているくらいの注視力では、乙な器は生まれる
  ものではない。三百年の茶碗が作りたけ
  れば、千年前の美術が分からなくてはかなわぬものである。


ただ単なる陶芸家ではなく、陶芸に纏わるあらゆるものを彼は会得している。そしてそれを人生の一部として楽しんでいる。不器用にも見える彼の人生の道筋だが、不幸はどこにも滲み出ていない。作風にも出ているように、それが彼の生き様なのだ。


足立美術館を後にし、電車で出雲へ。
出雲大社付近では、あと数時間後には新年の参拝客で賑わうというのに、閑散としている。嵐の前の静けさなのだろうか。
年越しに出雲そばを食べ、温泉に浸かって一休み。大晦日のTV番組は、マンネリ化した歌番組か格闘と、どこも似たり寄ったり。日本レコード大賞を受賞した倖田來未を見て、あとはNHK教育でゆったりオーケストラ鑑賞(爆)。
ケータイ審査員? すっかり忘れてました。


年越しと共に出雲大社で参拝。本殿にて参拝後、宝物殿へ。出雲国の古来より伝わる宝物の数々が陳列されているが、中でも最も目を引いたのは、宝刀『村正』と『正宗』。実物を見たのは初めてだ。光が当たると、『村正』は氷のように青白く光り、『正宗』は炎のような燃える光を発する。その美しい刀身は、まさに日本の古来の美術の真骨頂とも言えるだろう。


大晦日の出雲大社 - 其の一 大晦日の出雲大社 - 其の二


最後は拝殿にて祈祷していただいた。拝殿の中は、お香を焚いているからか、畳の香りに混じって独特の香りを醸し出している。が、後ろは普通に参拝客がいるため、賽銭を投げる小銭の音でうるさい。厳かな空気が半減。拝殿で祈祷していただくのは、元旦の日はあまりお勧めしない。
この祈祷であるが、料金が三千円/五千円/一万円とそれなりにリーズナブルな値段も設定されていた。なので、一つだと味気ないので三つほど願い事を選んだ。
が。ここでブービートラップ発生。この料金、願い事「一つにつき」、の値段なのだ。つまり合計九千円。想定外の支出に、今年の幸先が思いやられた…… orz
(おみくじは良かったのに……)



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2005/12/31 23:57 | Comments(0) | TrackBack() | Outdoors

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