また、同時にこの映画には答えが無く、正解も無く、考えさせられる映画でもあります。
舞台は近未来のイギリス。様々な策略によってイギリス国民が仕組まれ、半ば洗脳作戦の如く独裁社会へと発展していく。平和を維持する統治とは裏腹に、暴力と絶対権力によって人々を粛清していくが、そういった『国家の陰謀』に立ち向かっていく存在"V"が、やがて人々の心を揺さぶり、人々の本来の望む方向性へと導いていきます。
が。
結局のところ、その"V"も、事の発端は『国家の陰謀』に対する復讐であり、その手法が暴力であること。正義を唱える言葉の力を声高に掲げながらも、自己満足の為に復讐劇を繰り広げ、ロンドンの市街地を血の海にしたこと。
暴力における独裁社会に対抗するのには、結局のところ『暴力』でしか成し得ないのか。
『DEATH NOTE』のような、世の中の悪を鎮めるために、凶悪犯を次々に殺していくのと同じように。
けれど、"V"は決して「自分について来い」とは一言も言わなかった。ただ、自分の主張の正当性を唱えたものの、絶対に同意させるようなことはしなかった。
きっと、自分の行動が『独裁社会』のそれと何ら変わらないのは、"V"自体も分かっていたのでしょう。けれど、独裁者と『同じ』にならないために、独裁者のような『堕ちた人間』にならないように、というのが、せめてもの彼の復讐劇に対する流儀なのかもしれません。
もう一つ、この映画で主張したいメッセージとすれば、『恐怖』に対抗できる『力』。
それも『暴力』の意味ではなく、『意思』の力として。
『政治』も『象徴』も、ただそこにあるだけでは何の意味もないし役にも立たない。それに平伏す、もしくは崇める国民が存在する事で、初めて『政治』も『象徴』も意味を為すんだと思います。僕は、これまで意味づけ論的な授業を受けたりとか、論文を読んだりとかしたことがありませんが、本来無意味なものに意味をつけるためには、無意味なものを見る『眼』が必要なんだと、この映画では感じました。
その手段として、恐怖政治だったり、独裁だったりしますが、それは『政治』や『象徴』を無意味にしないための手段でもあり、それらを行使する独裁者達は、『無意味化』を恐れて行使しているんだと思います。
この映画のキャッチコピーで言う、「人々が政治を恐れるのではない、政治が人々を恐れるのだ」とは、正に言いえて妙ですね。
ナタリー・ポートマンの役どころは、そういう『現代社会』にも通用する、『恐怖』に対抗する『力』を演じている、そして、本当の『自由』を手に入れるためには、国民一人一人が、その『力』を身に着けていかなければならない、ということを投げかけている、そういう風に思えます。
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この映画の登場人物は、何らかの形で人間の『醜い部分』を持っています。そんな『醜い部分』が内外入り乱れて描写されているから、爽やかさの『さ』の字の欠片も見当たらず。ドロドロとした空気が、より一層登場人物を『醜く』描いているように感じます。
それを、「人間は所詮醜い生き物なんだから、隠すことなんてない」と言わんばかりに、酒や女など、自分の欲望をありったけに発散しようとするロチェスター伯爵は、『ある意味で』清々しい人物なのかもしれません。他の人物は、皆、対面や自分のプライドを如何に死守するかに固執するあまり、ムッツリになってしまって、影ではひそひそと淫猥なことに勤しんでいるのに、公共の場ではさも誠実な人物像を装ったりして。
冒頭のロチェスター伯爵の独白で、「諸君は私を好きになるまい。男は嫉妬し、女は拒絶し、物語が進むにつれて、どんどん私を嫌いになる」と語っていますが、悪辣ながらも自分の欲望のままに生きる姿は、かえって観る人をひきつけるのではないかと思います。
いわゆる、『好き』という感情で人を惹きつけたいのではなく、『嫌い』という感情で人を惹きつけたい、これも、彼の奔放で捻くれた性格所以ではないかと思います。
そんなロチェスター伯爵を演じる俳優が、ジョニー・デップなのですから。
彼は本当に凄い! 改めて、彼の持つ俳優としての凄さを垣間見たと思います。
彼は、何をしなくてもその存在だけで十分光放つのに、場面場面で、その光を抑えたり、時には他の俳優/女優にその光を当てたりと、うまく表現できませんが、役どころというか、立場や立ち位置を絶妙に演じています。この映画、むしろ、彼の存在が全てにわたって功を奏しているのかもしれません。
そんな、男の色気を放つ彼の才覚は、性別を問わず、あらゆる人を惹きつけてやまないのでしょう。
映画館で上映していたのを観た時は、はっきりいって何がなんだかさっぱり分からなかったのです。誰がどーなっていつ誰がどこにいてどーなって云々。話についていくのがやっと、というレベルではなく、途中から話がとんと分からなくなって。
でも、この映画に限って全然面白くない、ってのはきっと無いと思うし、自分のお頭の無さ加減もあったと思うので、めげずにDVDで再挑戦。一旦観たことが助けられたからか、話の流れがスムーズに理解できるし、ギャグやトリックや騙し合いの駆け引きといった、この映画ならではのエンターテインメントもするすると頭の中に入りました。
この映画、全然俳優の顔や名前負けしてませんよ。本当に面白い!
まぁ、ただ一回観ただけでは理解しづらいところもありましたが。今回は、『泥棒テクニック』が魅せ所ではありませんでしたから。
ハッ! もしかして、「一度観ただけじゃ理解できない」→「もう一度観させる」という導線をひいてたりする? もしかして、それが製作者側の意図? もしそうだとしたら、本当に僕の完敗。いや、別に勝負を仕掛けたわけでも挑んだわけでも請け負ったわけでもないのですが、個人的に(何故か)完敗。色んな意味でヤラれた映画です。
『オーシャンズ11』は、泥棒映画の王道とも言うべき、テクニックやトリックといって技術面を魅せ所としていましたが、先ほども申し上げたとおり、『オーシャンズ12』の魅せ所は、『泥棒テクニック』ではなく、『裏のかきあい』。オーシャンズ12のメンバーたち、それ対抗する泥棒、さらには警察に至るまで、如何に相手の心理や行動を把握し、それを上回る計画や行動を取って相手を出し抜くか。
華麗な犯罪トリックやテクニックに比べれば、地味かもしれないし分かりづらいかもしれないけれど、それぞれの勢力が相手を出し抜き出し抜かれ、最後に真相が解かれる様は、難解で、でも興奮冷めやらぬ推理小説を読んでいるかのよう。
これに、心理戦を加えたら、もっと物語に深みが増すかもしれませんが、より難解になるのは間違いなさそうですね……
ただ、オーシャンズが新たな盗みの仕事を仲介屋から依頼を受ける時の暗号会話が、やっぱり分からなかった…… 会話の中で交わされている単語(=隠語)を、意味のある単語に置き換えて真実の話を見出す、というところは分かったのですが……
いやはや、まだまだ修行が足りません(何の?)。
こういう、要所要所で頭脳戦を散りばめる作りも、いわゆる、製作者側の観客に対する「裏をかく」ことになるんでしょう。少なくとも、僕はこの映画を始めて観た当初は全然分からなくて、二回目にDVDで観た時に、完全に「裏をかかれた!」と思いましたから。
今までのアクション・エンターテインメントと一線を画した、『水中のアクション』を、なんとスタントなしでやってのけるのだから。しかも、物語の進行上、Tシャツとかジーンズとかと着の身着のままで泳いだり潜ったりしなければならないのに。
しかも、物語が、海底に眠るお宝サルベージという何となくお先が読めそうな展開ではないのが、サスペンス・アクションとしての面白さを引き立ててます。サルベージ中、何と麻薬密輸中に墜落した飛行機を発見し、それが思わぬ事態を引き起こすことに……!!
真の黒幕が登場してからの話の展開は、確かによく観るサスペンス映画のお約束ではありますが、それを差し引いても、『海の中のアクション』という、通常の銃弾が乱射する市街戦などの映画では味わうことができない面白さを堪能しました。
また、もう一つの見所といったら、何といっても海の美しさ。
淀みの無い澄んだ青い海。色々な海の生き物たちの楽園。
バハマの透明で美しい海は、余計なBGMが無くても、それだけで堪能できます。
ちなみに、サメは天然モノだそうな。
登場人物のほとんどがマリン・スポーツに勤しんでいるからいいものの……(汗)
俳優といえば、ポール・ウォーカーとジェシカ・アルバのいちゃつき度はちとイきすぎていますがな。
少なくとも、運転中はやめてけれ。
orz
『デジタル証拠』とか『情報証拠』というのをご存知ですか?
この単語を聞いて、頭に上がるトピックスといったら、恐らく『送金指示メール問題』でしょう。
ファックスで届いたメールの印刷文に、個人が特定できる情報だけを黒く塗りつぶしただけで、やれ本物だ偽物だと、ほとんど無意味な言い争いが繰り広げられました。
今や、パソコンも携帯電話も、もはや1人に1台が当たり前の時代になり、だいたいの業務処理をパソコンで行う社会。業務の効率化とか迅速化とかを考えれば、デジタルはもはや今の社会に無くてはならない、切り離せない存在となっています。
そういう、仕事の情報が『0』と『1』で表現され、デジタルの世界に当たり前のように飛び交うからこそ、気をつけたいのが、「犯罪や事件が発生した際、デジタル情報は、証拠として成り得るか」。
色々な問題があります。
1.デジタル情報は消失しやすいため、すぐに差し押さえなければならない
2.デジタル情報は改変しやすいため、証拠としての真正性を保障しなければならない
3.証拠となるデジタル情報が、「その日時に」「その場所で」「その人が」作られた、という
証明ができなければならない
デジタルの世界が普及した裏には、色々な問題がありますね。
粉飾決算とか、構造設計偽装とか、Winnyをはじめとする情報漏洩とか。
数え切れない不祥事を、如何に社会全般に適切に説明するか。それはすなわち、色々な問題を内包しているデジタル情報が、『証拠』として、どれだけの効果を発揮するか、にも深くかかわってくるのではと思います。
社会を支えている裏側で、不確定な要素を持っているデジタル情報。
色々な問題の発生源であるからこそ、解決の糸口でもあるデジタル情報。
証拠としてどれだけの、どこまでの有用性を占めているか、また、より一層の有用性を引き出すには何をすればいいのか。進化し続ける情報社会は、また新たな問題点に差し掛かっています。
参考URL
@police-セキュリティ解説 - デジタル・フォレンジック
http://www.cyberpolice.go.jp/column/explanation08.html
特定非営利活動法人 デジタル・フォレンジック研究会
http://www.digitalforensic.jp/
まるちゃんの情報セキュリティ気まぐれ日記 - フォレンジック
http://maruyama-mitsuhiko.cocolog-nifty.com/security/cat2169763/index.html
IT技術者のためのデジタル犯罪論 - 700デジタル証拠論
http://www.ofours.com/books/48/contents/archives/700/
Jemのセキュリティ追っかけ日記+α - フォレンジックに物申す(完了)
http://jem.serveftp.com/sec-blog/archives/2005/11/post_50.html
この単語を聞いて、頭に上がるトピックスといったら、恐らく『送金指示メール問題』でしょう。
ファックスで届いたメールの印刷文に、個人が特定できる情報だけを黒く塗りつぶしただけで、やれ本物だ偽物だと、ほとんど無意味な言い争いが繰り広げられました。
今や、パソコンも携帯電話も、もはや1人に1台が当たり前の時代になり、だいたいの業務処理をパソコンで行う社会。業務の効率化とか迅速化とかを考えれば、デジタルはもはや今の社会に無くてはならない、切り離せない存在となっています。
そういう、仕事の情報が『0』と『1』で表現され、デジタルの世界に当たり前のように飛び交うからこそ、気をつけたいのが、「犯罪や事件が発生した際、デジタル情報は、証拠として成り得るか」。
色々な問題があります。
1.デジタル情報は消失しやすいため、すぐに差し押さえなければならない
2.デジタル情報は改変しやすいため、証拠としての真正性を保障しなければならない
3.証拠となるデジタル情報が、「その日時に」「その場所で」「その人が」作られた、という
証明ができなければならない
etc.
デジタルの世界が普及した裏には、色々な問題がありますね。
粉飾決算とか、構造設計偽装とか、Winnyをはじめとする情報漏洩とか。
数え切れない不祥事を、如何に社会全般に適切に説明するか。それはすなわち、色々な問題を内包しているデジタル情報が、『証拠』として、どれだけの効果を発揮するか、にも深くかかわってくるのではと思います。
社会を支えている裏側で、不確定な要素を持っているデジタル情報。
色々な問題の発生源であるからこそ、解決の糸口でもあるデジタル情報。
証拠としてどれだけの、どこまでの有用性を占めているか、また、より一層の有用性を引き出すには何をすればいいのか。進化し続ける情報社会は、また新たな問題点に差し掛かっています。
参考URL
@police-セキュリティ解説 - デジタル・フォレンジック
http://www.cyberpolice.go.jp/column/explanation08.html
特定非営利活動法人 デジタル・フォレンジック研究会
http://www.digitalforensic.jp/
まるちゃんの情報セキュリティ気まぐれ日記 - フォレンジック
http://maruyama-mitsuhiko.cocolog-nifty.com/security/cat2169763/index.html
IT技術者のためのデジタル犯罪論 - 700デジタル証拠論
http://www.ofours.com/books/48/contents/archives/700/
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http://jem.serveftp.com/sec-blog/archives/2005/11/post_50.html
