ロブ・マーシャル監督の処女作となるミュージカル映画。この映画、特に女性に絶大な人気を誇っていますが、勿論、この映画の底知れない垢抜けた雰囲気は、男性をも魅了します。
登場する人物は、どこもかしこも自己陶酔だらけ! やっぱりワイドショーネタが好きなのは、時代も国境も関係無いんですな。
人間であれば他人の幸せ不幸せを、ここぞとばかりに追いかけ、それをネタとして吸収することで、自己満足を覚える。また、そのネタを好機とばかりに利用し、成り上がるために、目立つ人生を送るために、大げさに振る舞い、嘘をつき、多くの人を騙し謀る。
そういう人間誰しもが持つ、欲望と醜い影を、滑稽に、そして皮肉を交えて楽しく彩る。そのギャップに、この映画の観客は誰もが酔いしれるのでしょう。
また、現実と虚構を、建前と本音に対比させ、更に通常の演技とミュージカルとして入り乱れて表現する、というのも、鑑賞している者としては飽きが来ないし、人間の持つ虚偽と本音を垣間見ることが出来る。コメディテイストのミュージカルなので思いっきり笑える分、本音をぶちまけられたミュージカルシーンの数々は、「あー、何となく分かるなー」とか「言い得て妙かも」と思えるに違いありません。だって、そこにこそ『人間の欲望』そのものが出ているのですから。
特に、殺人罪で刑務所に入れられた女達が、一人ずつ刑務所に入れられた原因を独白するシーンなんか、本当に『今の世の中』でも普通にありそうで(汗)。
以前どこかで聞いた話ですが、「~み」とつく感情は、男よりも女の方が強いそうです。『恨み』とか『妬み』とか『嫉み』とか。そういった感情が鬱積し、仕舞いに爆発させてトンデモナイ方向に爆走してしまうところに、女性の共感を得たのではないかと思うのです。
だから男は未来永劫女性に頭が上がらないんですけれどね!
(女性を敵に回して生き残れた男がいれば、今すぐにでも紹介してほしいくらいですヨ…)
人間の持つ負の感情表現や悪知恵を、これでもかっというくらい表現した映画ですが、それを面白おかしく、楽しくミュージカルに仕立てた、というのは、結局のところその負の遺産も含めて人間の本質であり、未来永劫、その負の遺産から逃げられない、ということ。
だったら、如何にしてそれを巧みに利用し、のし上がっていくか。この映画が示しているメッセージではないかと思います。
まぁ、だからといって。
それが弱者を虐げていい理由にはなりませんし。どんなに巧みに利用しつつも、必ずどこかでリスクが纏わりつく。危険な賭けだけれども、だからこそ面白い。
強烈な辛さを含む人生。貴方だったら、どう生きていきますか?
『恐怖』。
武器や大量破壊兵器や核兵器よりも更に恐ろしい『恐怖』。
それは、人間の心。傷つけられたときの痛み。報復への渇望。人を混沌の渦へと巻き込み、やがて堕ちていく。落とされていく。
今のような情報伝達の手法が乏しい時代は、少数の権力者が、自分の考えを、主張を伝えるために、それこそ躍起に行動した。でも、今は違う。情報の伝達は、人間が作り出したものなのに、人間が制御できないくらいの恐ろしい速さで伝わっていく。しかも、かつての時代のように、外側からまるで思想のシャワーを浴びるように伝わるのとは対照に、まるで病原菌に蝕まれるかのように、内側から徐々に徐々に浸透していく。
尚且つ、人間が制御できないのはそれだけに留まらない。情報の量。情報の開示方法。全てが、全てを掌握する人のあずかり知らぬところで侵食していく。だから、今の人は『気づかない』。まるで、誤った歴史を公然と教え伝えるかの如く。
それが、ある事件を機に、一気に爆発したらどうなるか。
それでも、制御できるのは、『人間』しかいない。人間が引き起こした惨劇を、神が代行して制御することはできない。『人間』が犯した罪は、『人間』が『人間』として償っていかなければならないのだ。
あるテロリストが世界情勢を掌中に治める画策を企て、アメリカに原爆を落とします。
中東戦争で不発に終わった核爆弾を再利用するなど、事前に周到に準備し、且つ、巧妙に情報操作し、原爆を落とした犯人は、ロシアだとアメリカに思わせます。
アメリカはまんまと騙され、ロシアに攻撃を企てる。
しかしそれでも、最後まで真実を見通そうとした青年が、最初は自分の運命に呪いながらもやがて決起し、テロリストの陰謀を阻止しようと、正確な情報を収集し、両国に伝えようと紛争します。
トム・クランシーの小説『THE SUM OF ALL FEARS』の実写映画は、前半・後半と、物語がくっきりと分かれます。
前半は、テロリストの『備え』や、冷戦終了後も如何にアメリカとロシアが互いの腹の中を探り合っているか、というにらみ合いの攻防戦を描いています。
この前半、腹の探り合いやら情報の探り合いやらなので、小説を読んだわけではありませんが、多分、全体の相当量のボリュームを占める部分なのでしょう。これから起こる『恐怖』を、影から、内側から徐々に引き立てる部分でもあるのでしょうから。
だから、どうにも薄く感じてしまいました。小説の重要な部分を多く端折りすぎたのでしょうか? ノードがやけに点在するだけで、ノード間のラインがいまいち、というか、ほとんど見えてこない。だから、単に事象の連続にしか見えず、観ているこちらとしても、退屈になってしまうところがありました。
が、後半は打って変わって緊迫の連続。
前半部分で備えた恐怖の鬱積が一気に爆発し、一発の原爆の点火が、やがて二大国を戦禍へと巻き込んでいく。真実は、決して掬いだされないまま……
尚且つ、人々は皆冷静さを失っている。そんな中で、真実の情報を見出しても、どうやって相手に伝える? どうやって相手に分かってもらえる?
『人間』が犯した罪は、『人間』が償っていかなければならない。でも、極限状態の中での『人間』は、犯した『罪』が『見えない』。だから、盲目のままに『恐怖』は増大する。
テロリストにとって、それが最も狙っていたところだ。
だから、世界大戦が終わって60年経過する今も尚、本当の意味で、戦争など終わってはいない。
『恐怖の螺旋』は、『人間』が『人間』の『罪』を見ない限り、堕ちるところまで堕ちていく。
貴方は、それが望みですか?
よく考えて欲しい。
この映画は、そういったメッセージを問いかけています。
ニュースで『秋葉原の若者特集』というのをやってました。
二次元美少女ゲームやロリコン系フィギュアにはまっている若者に突撃インタビュー。
レポーター:「彼女はいるんですか?」
若者:「い、いや… いません…」
レポーター:「こういった美少女ゲームやフィギュアにはまってどれくらい経つんですか?」
若者:「………2年くらい…?」
レポーター:「美少女ゲームやフィギュアの魅力って何ですか?」
若者:「まあ… 自分の好きなタイプの女の子が…自分を好きになって
くれる…って、とこ、かな…?」
インタビューと称して、この若者を晒し者として弄んでいるようにしか見えませんでした。
この特集に出てきた若者の、その後が気になります。警察の鑑別とか受けたりしないのかな。
作り話とか空想とか真実とかが、いっぺんに『一つの物語』という波に寄せられるような感覚の映画ですので、初見の人が観れば、よく分からない映画なのかもしれません。
が、映画の内容がよく分からずとも、シーンによって強調されるそれぞれの色彩の美しさ、中国の数々の名所の静寂の中から生まれる美しさ、壮大さ以上に眼を惹いて止まない、スペクタクルの美しさだけでも、必見の価値があると思います。
また、初見の人が観ると難しいのは先ほど申し上げたとおりですが、繰り返し観て、物語の内容を少しずつでも理解することによって、この映画の奥の深さを身にしみて感じることが出来ます。
それぞれにはそれぞれの理想があり、信念があり。その理想や信念のために戦ってきた。けれどもその信念は、必ずしも誰かと共有できるとは限らない。時として相見え、衝突することもある。でも、その中でないと、今までと違った新たな価値を見出すことが出来ないこともある。
暗殺者である残剣が、秦の国王と剣を交えて、本当に自分の中で誇りとして抱ける理想や信念は何なのか。それを誰かに伝えるためには、どうすればいいのか。
様々な苦悩がありながらも、彼はそれぞれ違う形で、自分の理想と信念を誰かに伝えようとする。
無名には書で。秦の国王には無名を通して伝えることで。如月には主従関係で。そして、最愛の飛雪には、己の剣を交えることで。
この物語は、ジェット・リー演じる無名が主人公のように思えます。が、彼はどちらかというと、この物語の語り部。本当の主人公は、トニー・レオン演じる残剣なのかもしれません。
更に、彼の伝えたかった信念や理想は、今現在生きる私たちにも、繋がるものがあります。
己の報復心だけで、先の全てを、周囲の関係や環境の全てを棒に振っていいのか。
勿論、そのような考えに導くことは、そう容易いことではありません。目の前で理不尽に大切な人を殺されたら、たとえ聖人であっても、復讐の炎を燃やすでしょう。
戦国の乱の中という、極限の状態の中で、それを見出すのは、並大抵の精神力の持ち主ではできるはずもありません。というか、人間にそこまでの悟りが出来るのかどうか不思議でなりませんが(笑)。
難しいですね。僕のような凡人では、きっと死ぬまで答えなんて出せないのかも。
でも、それでいいのかも知れません。人間としえ生まれてきた限り、未来永劫、理想と信念を追い求めようとして、苦しみ続けるのは宿命なのかもしれませんから。
『ハリーポッター』シリーズの2作目。
かつてホグワーツ魔法魔術学校を創設した偉大な魔法使いのうち、異端となった者が学校を追放される前に作り上げた、『秘密の部屋』を巡るミステリー。
次々と学校内で起こる怪奇現象を前に、噂される『秘密の部屋』の継承者。一体、『秘密の部屋』とは? 継承者とは一体何なのか? そして、『秘密の部屋』を開けることのできる者は、一体誰?
第1作は、あくまでそれぞれのキャラクターの自己紹介的な内容であったに対し、2作目はそのキャラクターの役割が、前作に比べてはっきりと表れていましたので、キャラクター一人一人丁寧に追う事が出来ました。魔法に対しても、前作に比べ慣れや理解度が深まり、それこそ、「正に魔法ファンタジー!」とも言えるように、どのキャラクターもふんだんに魔法を使っています。
勿論、前作はまだまだ学校に入りたての1年生。純血の魔法使いであっても、最初かた魔法を使い慣らすわけにはいかないはず。RPGなんかでも、徐々に魔法や技を使い慣らせてきた時が一番面白く感じますが、2作目は、きっとそういう位置づけなのでしょう。
あくまで、僕個人の感想ですが。
が。
実のところを言うと、この2作目は、あんまり印象深くないんですよ。色々なところに事件が飛び火するように展開しているからか、初見、もしくは2回目の鑑賞では、点と点を線でつなげるには結構ひと苦労なところがあります。
最後の最後で、事件の黒幕が出てきて、今まで拡散していた点が一つにまとまるのかと思いきや、まあ、確かにまとまりはしたものの、説明的に終わっているし、しかもその結末が何だか変な方向にずれては、まるで花火のように四散してしまった感じがして……
点在している事件の数々を追うのがちょっと厄介と感じつつも、「『秘密の部屋』を開ける者を探れ!」という、途中までのある意味真犯人を探し出す探偵的な要素が、魔法を交えて非常に面白く描かれていただけに、クライマックスの展開は個人的には不評でした。
そして、ラスボスを撃破するにしても、やっぱり何だか技っぽい。いっそのこと、今後もそれで通しちゃってもいいんじゃね? と思ってしまうくらい(完全否定するわけではありませんが、折角のファンタジーなんですから、魔法ファンタジーっぽいラスボスとの対峙を期待してしまうわけです)。
この映画の敢闘賞は、やはり何といっても『嘆きのマートル』でしょう!
やはり、トイレの花子さん的な存在は、洋の東西を問わず、どこでもいっしょなんですね(笑)
