漫画やドラマかなんかで、『誰か(何か)を守る』というセリフがいたるところで使われているけど、
最近、現実の世界でこの言葉を当てはめようとすると、もちろん、程度の差はあるけれど、
軽はずみに使えない言葉なんだな、と思いました。
何となくかっこつけだし、くさいし、正義感ぶっているけど、
その言葉の裏には、とてつもない覚悟が潜んでいる、ということです。
この『守る』と口にした人の心の中は、どんな信念が込められていたのだろう…
第2次世界大戦が収束しかけた、1945年8月。
敗戦確実と言われ、戦意の息意気も消沈しかけた彼らにとって、
戦う理由は、「お国」のためでなく、「自分の守りたいもの」のため、「自分の未来を切り開く」ため。
役所広司演じる、イ507潜水艦の艦長・絹見真一が、特攻隊を一切認めず、周囲から臆病者呼ばわりされてそれでも曲げなかったのも、
自分の『守りたいもの』に対する信念があったため、なのでしょうか。
愛国主義を前面に出す戦争というのは、どこもかしこも「国の為に死ね」というセリフが、耳にタコができるくらいに交わされていますが、
この映画、一時たりとも「国の為に死ね」なんて言葉は無いんですね。
もちろん、大戦中の日本という時代の中なので、その響きは別に不穏分子のような意味ではないのですが、それ以上に、「本当に自分が守りたいものは何なのか」を、登場人物全員に終始問いかけていると思います。突拍子なことかもしれませんが。
ただ、やはりどこか平坦なイメージ、というより、起伏があまり感じられず、「どうしても守りたいんだ!」という登場人物の暑苦しいほどの想いが伝わらなかったのが残念です。
言葉にするのは簡単かもしれませんが、それを『気持ち』にこめるのは、難しい事なのかもしれません。映画の世界であれ、それこそ、現実の世界であれ。
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