「でも、もしパレスチナ人が僕達の国に攻め込んできたら、彼らに銃を向けなければならない。」
この映画は、「戦争はいけないことです」とか「平和は大事なことです」なんて言葉は一つも出てきていません。何故ならこの映画は、傷つける方と傷つけられる方、両方の視点で描かれているから。傷つける側は「よくやった」「君を誇りに思う」と褒め称える。傷つけられる方は嘆き悲しみ、侮蔑の視線を刺すように投げ、さらには逆に傷つけた者の命を狙うようになる。
唯一つ、この映画が訴えているのは、報復は報復を生むこと。本当に単純なことに見えます。言葉にすれば非常に容易い。でも、「報復は報復を生む」ということを、本当に身にしみて感じている人は、この地球上でどれくらいいるのでしょうか?
きっと僕も分かっていません。多分己の両の手を血で染めた者でなければ、分からないのかもしれません。
でもそれだと、自分の身を血で汚さなければ、自分の過ちに気づかない?
罪の重さを知るためには、罪を犯さなければならない?
人の命の重さを知るためには、人の命を奪わなければ分からない?
本当の意味で『痛み』を『理解』することは、並大抵の事ではないでしょう。
だって『傷つけた人』は、『傷つけられた人』じゃないから。『傷つけられた人』がどんなに痛み、苦しんでいるのかが分からない。
自分が犯した、また犯そうとしている罪がどれだけ重いものなのか、ちゃんと『理解』しなければ、その『罪』の恐怖と狂気に自分が押し潰されてしまう。単に『理解している』だけでは、きっと、報復と哀しみの螺旋は止まることは無いと思うのです。
この映画に登場する人物は、何かしらの形で『安息する場所』を求めています。『いつか帰るところ』とでもいうべきでしょうか。
それは家だったり故郷だったり、または国だったり。
自分達にとって『安息の場所』を勝ち得るために、誰かを殺す。誰かを傷つける。
殺された、傷つけられた方は、『安息する場所』を奪われる。奪っては奪われ、奪われては奪い返し…… きっとこれから先も、未来永劫繰り返されていくのでしょう。
だからこそ、この言葉があまりにも響いて離れないのです。
「俺たちは高潔な民族のはずだ。その魂を忘れるなんて…」
それは、地球上に住む僕達全員に当てはまる言葉。
僕達は人間です。本能だけで生きる動物ではありません。考える頭と言葉を持つ人間です。
『人間』が『人間』である限り、これからも『人間』であり続ける限り、決して忘れてはならない。そんなメッセージを投げかける映画だと思います。
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