確かに、レオナルド・ディカプリオの演技は光っていました。富豪ハワード・ヒューズの半生に散りばめられている、彼自身のあまりにも高い自尊心の高さとか、傲慢さとか、潔癖症とか。
さらにスクエアな完璧主義者であるので、一度評判が地に堕ちた時の『無惨さ』の表現には、確かに目を見張るものがあります。
話の内容としては若干小難しかったけれど、富豪の半生を描くが如く、ゴージャスな美術・映像でした。
けれど。
いまいち「素晴らしい!」と思える瞬間が存在しないのは何故でしょう?
日本人好みではない……というのは無いと思います。こういうジャンルの映画が好きな人だって沢山いらっしゃるはずです。多分、僕個人として、どうしても相容れないものがあるんだと思います。
同じ年のアカデミー賞では、作品賞・主演女優賞・助演男優賞・監督賞に、『ミリオンダラー・ベイビー』が選ばれました。前のBlogにも書きましたが、『ミリオンダラー・ベイビー』は、父と娘の関係に似た、激しさや情熱混じり愛ではないけれど、素朴で、不器用で、でも何よりも厳しく崇高な愛を描いたヒューマンドラマとして描かれています。
ラストに近づくにつれて盛り上がる、なんていう場面ではないけれど、純潔で、朴訥で、でも気高い愛情表現に、すごく心惹かれた記憶があります。そういうのがあると、後々で思い返してみて、愛情を育んだ様々なドラマが、綺麗に蘇ってきます。
しかし、『アビエイター』は、映像の綺麗さが表立って、思い返して「このシーン良かったな」というものがありません。別に平坦につらつらと物語が進んでいく話ではないのですが……
そういう意味で言うと、レオナルド・ディカプリオの影響が強すぎたのかもしれません。
『ギャング・オブ・ニューヨーク』でもそうでしたが、思い返そうとしても、彼については割と鮮明に思い返せるのに、他の役者さんとかそのシーンの事細かなやり取りがどうにも思い出せません。
アクが強すぎるのでしょうか? 個性として、俳優としての光が強すぎるあまり、主演として映画の場を支配するのを通り越して、飲み込んでしまうような……
考えすぎかもしれませんが。
でも『タイタニック』の時は、そんな感じは殆ど感じられなかったのですが。
個人的には、残念ながら「長くて微妙」という感想の映画でした。
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