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[名][C]
1. (神の)化身、権化、具現
2. (Internet)アバター◆ネット上での仮の姿、アイコン
この作品を観終わって、真っ先に感じたことは、というと。
■ 仕事帰りの疲れた身体で観る映画じゃない
■ この作品のDVDの売り上げは、興行収入と比較して驚異的に低い、という予想
です。
物語は非常に単純明快。特別頭をひねるようなこともなく、一本道に進みます。伏線と言えるものはほとんどないため、気楽に作品を楽しめることができます。
なのに。「仕事帰りの疲れた身体で観る映画じゃない」というと、僕がこの作品を鑑賞したのは、IMAX-3Dだから。3Dだからこそ楽しめる、あまりにも深さと奥行きがある重厚感! グイグイと作品の世界にのめりこむことができるため、作品終了間際にはヘトヘトに。。。 orz
その代り、3時間ほどの長編にもかかわらず、「まだ続くのか?」といった倦怠感にも似た感覚が発生しませんでした。
3Dの作品はこれまでにも多数ありますが、いずれの作品も、子供向けだったり、+αの余興的存在で終始してしまうのがほとんどだったように思います。しかし、この『アバター』の出現によって、より一層、作品の中に3Dを取り入れるところが増えるのではないのでしょうか。
言わば、『アバター』こそが、本当の意味での3D映画の先駆者となるような、そんなことが頭によぎります。
だからなのでしょうか。
ホームシアターをはじめとする家庭用映画産業では、まだまだ3Dは先の先。一部で商品化されていつつも、誰しもが普通の給料と家の構造と家族の理解で購入できるようなものではないと思います。そんな中で、『アバター』のDVDがリリースされるものなら、それは単に普通の作品になり下がってしまうような気がして……
そうなってくると、果たしてこの作品、3Dの作品でなかったら、『タイタニック』越えなんて出来たのでしょうか。。。
閑話休題。
今の、職場における僕の立場と、彼の立場というのは、どことなく共感が持てて、単純明快な作品であるにもかかわらず、感情移入しながら鑑賞することができました。
何よりも、それまで不自由な足を引きずって生活しなければならないのに、たとえ任務とはいえ、人間ではないとはいえ、自分の力で立ち、歩き、走り、跳ぶことができる足を手に入れられる、ということは、彼にとって掛け替えのない『自由』を手にすることでもあるから。
そこから広がる新たな世界。新たな出会い。仮初の身体とはいえ、自分の、これまでの呪わずにはいられなかった運命の変化に、喜びを感じずにはいられない。
だからこそ、彼は悩む。これが、本当の『現実』であれば、どれほどよかったか。
そして、彼がとった方法は、他でもない『己』と、『己』の信じる世界のため。きっとそれで、多くのものを失うことになろうとも。
この作品、アメリカ国内の一部の保守層には大層批判的に受け止められているようですが、僕はそうは思いませんでした。ただ、僕が思ったことは、「今、自分の行っていることは、己の信じていることか。己の心に恥じないことなのか」を問いかけている、と感じました。
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