この漫画を読むまで、バレエ漫画というのは、『ベルサイユのバラ』よろしく瞳孔に無数の星を散りばめさせるような、少女漫画の特権なのかと思いました。例えば、愛する人を手放す事を恐れて服毒自殺したりとか、電車で出会ったバレエ仲間が実は血を分けた姉妹だったりとか、バレエスクールの跡継ぎのために愛する人と争わなければならないとか。
メロドラマばりのドロドロ人生の裏話が繰り広げられながらも、バレエの描写の根本は『美』。バックグラウンドに今にも花が咲きそうな、俗に言う「お高くとまっていそうな」イメージが、今まで見てきたバレエ漫画には垣間見えていました。が、この漫画は全くの別。
この漫画バレエは、生き続けるための戦い。
この漫画には、お高くとまったりとか『美』を彷彿させるような描写はほとんどなく、まるで一コマ一コマが、命を削るような、それ以上に、命を賭けるようなダンスが繰り広げられています。
勿論、登場人物全員が、ではなく、『主人公』が。
自分が選んだ道がそうなのか。自分の才能がそうなのか。
どんなに才能溢れていても、「つまんないから辞める」とか、「辛いから別の代わりの人を」とか、ちやほやされるような芸能人ばりの人生には決してなれない。踊る事を止めてしまったら、それは『死ぬ』ことを意味する。かつて、自分の半身である双子の弟が、そうであったように。
こんな、少女漫画のような『美』には到底思いつかないような、『凄惨』なバレエ漫画なんですが、ヤングジャンプに連載された時から、もう釘付け。これほど読者の『読むこと』『見ること』を強いて、それでも飽きさせる事の無い、ということは、一種の麻薬のようなものがこの漫画に秘められているのではないのでしょうか。
現に、今も尚この漫画に対する高い評価は、衰える事がありません。
逃げられない。逃げる事は赦されない。
他の道に行くこともできない。
でもきっと、最初から他の道など選んでいない。どちらも、主人公にとっては、地獄。
バレエは、自分が自分であり続けるための地獄。その他の道は、自分ですらもなくなってしまう安寧地獄。だから、自分であり続けるための地獄を選んだ。
だからこそ、その純化された選択が、芸術という領域に仕える者に仕上げる。
神の視点で選別と淘汰が成される、バレエダンサーという芸術に。
天才とか鬼才とか、そんな呼び名すらもおこがましいダンスを披露しながらも、どこか薄氷を踏んで生きているような、危うい存在。正直、何かしらで『強さ』を求めようとする現代で、こういう主人公像に惹かれる理由と言うのが、あまり良く分かっていません。
いや、薄氷を踏むような生き方だからこそ、『強さ』というのが示されるのかもしれません。
儚くも恐ろしい、美しくも凄惨。
対極を為すようなその生き方が、見る人をまばたきすら忘れさせてしまいます。