某サイトでとんでもなくこき下ろされたかの如くの酷評だったので、「だったら尚更のこと観なければっっ」という生来の変人振りを発揮しながら観てきました。ちゃんと映画としてのテーマはあるし、そこまで酷評するほどでもなかったかも。
けれど、印象薄いよ、この映画。人間の科学力による傲慢が災いして、地球環境からのしっぺ返しを喰らう、というのは、よくあるパターンです。事件を解決するためにヒーローを集めて事件解決。まるで水戸黄門よろしくお決まりの物語で進行するし、しかもタイムトラベルなので、話の展開が読めて読めて。
『アルマゲドン』『デイ・アフター・トゥモロー』『ザ・コア』も、大雑把に言えば人類救出劇の映画にくくられる映画ですが、『アルマゲドン』と『デイ・アフター・トゥモロー』はともに、人類を守るというよりかは家族を守る、というところに焦点を当てられた映画なので、観る側としても感情移入しやすい。対して、『ザ・コア』はベタな人類救出映画なのでやっぱり印象の薄い映画ですが、『サウンド・オブ・サンダー』に比べたら見ごたえがあったと思います。
では、『サウンド・オブ・サンダー』が余計印象薄く感じられた要因というと、2つあります。
一つ目は『合成』。わざとなのか!? と言いたくなるような分かりやすい合成映像。この時点で感情移入などできませんでした……
二つ目は『クリーチャー』。所詮実物を見た人間など一人も居ない、想像上の生物だから仕方ない、のかもしれないけれど、適当というより「こんなもんダロ」と何かクオリティに変に妥協して作ってない? というものでした。更に、最初のシーンで恐竜が登場する時の、樹木のなぎ倒し方なんて、張りぼてを倒してるようなもんじゃん……
着眼点はいいのに、映像でそれを悪い方向に壊しちゃってるなんて…… もっと丁寧に作れば見ごたえがあったのでは、と思っただけに、残念です。
あと、僕は原作を読んだ事が無いのですが、ところどころ「これ、矛盾してない?」と思うところもちらほら。
また、どこかの本で忘れてしまいましたが、自然の力が本来の姿に戻すように、驚異的な回復力を持っているのと同じように、時間の力も、驚異的な回復力を持っている、というのを聞いたことがあります。
例えば、過去にタイムトラベルして、独裁者になる人間(ヒトラーとかスターリンとか)を、独裁者の権力を掌握する前に殺したとしても、『時間の力』が働いて、別のところで同じような独裁者が生まれる。つまり、どんなに過去を変えようとしても、時間には『修復力』があり、根本的な過去を変える事は出来ない。必ず『現在』と『未来』に辻褄が合うように、作り直されてしまう。 というものなんですが。
まぁ、遠い未来、本当にタイムとラベルが可能になれば、どんな世界になってしまうんでしょうね……
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今まではどちらかというと、戦い自体よりもアクションだったりとか、戦っている場の空気や風景や色彩とかに感動を覚えたものですが、食い入るように格闘シーンに魅入ってしまったのは、これがもしかしたら初めてなのかもしれません(映画歴が短く、まだ鑑賞した作品が少ないから、というのもあるのでしょうけれど)。正に、今現在の自分の力に奢り高ぶっているどこぞの国の大統領に観てもらいたい作品です(笑)。
今まで観たカンフーとか武侠映画の大部分は、変にストーリー仕立ての展開を挿入するあまり、魅せるべきところの格闘やアクションのところもぼやけてしまう感じがあったので、あまり興奮とか感動とかがありませんでした。むしろ呆れ果てたものもあったり。
ただ、これも大雑把に言えば格闘アクション映画であるにもかかわらず、魅入ってしまったのは、実在の人物の話であり、また、伝えたいメッセージがはっきりしていて分かりやすかったから、だと思うのです。だからこそ、格闘アクションがメインの映画であっても、物語の流れや登場人物の演技に光るものがあるんだと思います。
主人公の霍元甲が、自分の心変わり、ひいては真の『強さ』とは何なのかを見出す時間が、格闘アクションの『動』の部分ではなく、田舎の日々の生活そのものである穏やかな『静』の部分で表現されているのも、霍元甲の波乱に満ち、没落から再生を描く、まるで『彼の人生そのもの』を描いているからだと考えます。
「暴力だけで人を惹きつけることはできない」
「報復は報復を生むだけ」
ありきたりな事だけれども、とても大事な事。こんな世の中だからこそ、本当の『強さ』って何? と、自分自身に問いかけるいい機会かもしれません。
内容はもう覚えていない。でも『観た』事実は何となく覚えている。その時の『命の輝き』に心打たれたことも、何となく覚えている。当時の物語を思い出そうという意図で観たわけではない。当時の感動を呼び起こそうという意図で観たわけではない。けれど、『南極物語』という題名が、かつて心の奥底に封じ込められた記憶を揺さぶられるような気がしてならない。
オリジナル版とリメイク版を比較する、という観方をかつてしたことがあり、リメイク版に非常に幻滅した記憶がある。同時に、そういう観方が間違っていることにも気づく。
たとえ話の道筋が違っていても、オリジナル版とリメイク版は全くの別物。そういう意味で、オリジナル版の記憶がないことは幸いだった。ハリウッドでは『EIGHT BELOW』という名の映画に入り込むことができた。
「生キタイ」
「死ナセナイ」
「死ナセナイ」
たとえそれがドッグトレーナーの指導による演技の賜物だとしても、犬たちの生命力の強さと生きることへの執着には、圧倒せざるを得ない。全ての命を凍てつかせる世界の果ての地獄の中で、自分が生きることだけでも精一杯なのに、主人と交わされた約束をただひたすら守るために、ただの一頭たりとも死なせないと振り絞って生きた犬たち。
結局、志半ばで命尽きた仲間もいてしまった。たとえもう動くことの無い変わり果てた姿になっても、愛しむ様に体を舐めるシーン、でも自分が生き残るために、遺体を置き去りにせざるを得ず、後ろ髪を引かれる思いでその場を離れるシーンは、胸が苦しくなる。
難を言えば、これはハリウッド映画だからなのか配給元がディズニーだからなのか分からないが、変にBGMが多いことだ。それも仰々しいオーケストラ。
正直言って、これは必要ないと思う。命の鼓動に耳を澄ませられないからだ。犬たちの生きる力に感情移入する妨げになってしまっている。あらぶる自然に対抗する犬たちの果敢な戦いを感じ取るのなら、余計なBGMは必要ない。
また、かたや犬たちの心配をする人間側のドラマは、あまり悲壮感が見られず、どこか冷めた感じがある。「犬たちを置き去りにせざるを得なかった」ところがより強調されれば、何としてもすぐに犬たちを連れて帰りたいという感情が強調されれば、より感情移入できたであろう。
兎にも角にも、犬たちの生命力と絆の強さに感嘆する。
オリジナル版と比較する必要は無い。これを一つの『オリジナル』の映画として、命の鼓動を感じ取って欲しい。
あのね、やっぱりカンフー映画や武侠映画にはね、ストーリーは要らないと思うの。要らないというと語弊があるけど、極力削ぎ落として、アクションエンターテインメントに重点を置いたほうがいいと思うの。
ホラ、やっぱり主人公はジャッキー・チェンだし。アクションの中にもどこかで笑い(=エンターテインメント)の要素を入れてくるしね。ここで、シリアスな物語を挟むことによって(勿論挟み方にもよるんだけれど)、中途半端な映画になってしまうのね。今回も、シーンの切り替え方も含めて、正にそれが出てしまった映画になっちゃったよね。
とまぁ、『PROMISE』に続いてヤッパリネ、という感じの映画でした。
ただ、『PROMISE』でのアクションシーンは、あまりにも歪んだ形でCGとか最新(?)技術を使ってしまっているため、もはや笑うどころの問題ではない映画に仕上がってしまったのですが。もちろん、物語の組み立て(の訳分からなさ(笑))は、『PROMISE』と同じ部分があるにせよ、アクション部分はしっかりと笑わせていただきました。
これぞ、ジャッキー・チェンのアクションの真骨頂、と言うべきか。この部分だけは、『レジェンド・オブ・ゾロ』と似たような感じがします。客観的に観れば、四角いジャングルで戦っている者たちを囲んで、闘牛やコロシアムを観る観客のような感覚です。
話の流れとしては、考古学者のジャック(=現世)が、毎日のように秦の時代に生きた蒙毅将軍(=前世)の夢を見て、その史実を解明するために、色々な発掘をしたり諸所奔走(要はアクション)する物語。
シリアスな前世を描くに対して、エンターテインメント満載の現世を描く、という対極は、構成としては分かりやすかったです。
が。前世の話も途中で登場人物が多数出てきたこともあり、人物相関がよく分からなくなったりしてしまいました。まぁ、これは単に自分の勉強不足なんですがネ。もし事前に情報収集するのであれば、中国史の始皇帝の時代を勉強するのがいいかもしれません。
やっぱりこの映画も、最近の中国映画の例に漏れず、アクション映画として楽しみたい人向けです。
まぁ、ジャッキー・チェンが出演する、という時点で、それ目的で観る人が多いと思いますが。
この映画を見始めた時の答えは、紛れも無く『ブロークバック・マウンテン』だと思います。『ブロークバック・マウンテン』は、あまりにもストレートに心に辛く響く作品だったから、かもしれません。
打って変わって『クラッシュ』は、それはもうあからさまに『人種差別』を表現する映画です。まるで最初から、「差別はいけません。皆仲良くしましょう」と言いたいがための映画のように見えてしまうくらい。
けれども、物語が進みにつれて、そのあからさまな人種差別が、いや、人種差別があからさまであるからこそ、その後差別を「した」人間に対する『業』の振り返り方が、巧みに描かれている。まるで全てを見透かした神が、「本当に人と人とが触れ合うことはどういうことなのか」ということを教えるかのように。
そいう言う意味で、表面からストレートにメッセージを投げかける『ブロークバック・マウンテン』に対し、裏側から本質的なメッセージを投げかけるのが、『クラッシュ』だと考えます。
ただ、「どちらが印象に残るか」という面で考えた時、最初の質問にある「僕が米アカデミー賞の審査員だったら」という問いの答えは、『ブロークバック・マウンテン』でしょう。(『クラッシュ』は、どちらかというと観終わった後でじっくり考えるような『考えさせる』系の映画なので、別にこの作品が劣っている、というわけではありませんが。)
ただ、如何せん世間は保守的な流れにいってしまったのかな、同性愛を描いた映画、という理由(本当にそうなのか分かりませんが)で、『ブロークバック・マウンテン』は作品賞の栄冠から落ちてしまいましたが。
そして、この映画ほど、「人間ほど不完全で、未来永劫『何か』に徹しきれない生き物はいない」と感じました。
第三者からすれば本当に些細なことで、それは肌の色だったり、声だったり、名前だったり、人種だったり、人と人は衝突する。しかし『些細なこと』とは、所詮何のかかわりも無い他人からの感覚に過ぎず、本人にすれば、きっと大きなことであるのかもしない。
それが怒りを買い、反感を買い、行く先は大きなトラブルに発展する。でも、人と人の『怒り』が大きく交錯する中で、その『業』が自分に降りかかってきたとき、すぐそばにいたのは、自分が衝突した人物だった。
常に『誰か』の優位に立ちたいと思いながらも、どこかで誰かに自分より優位に立たされている。この世で『誰か』の頂点に立てる人間など、どこにもいない。
それに気づいたら、きっと、これまでよりももっと『誰か』に優しくなれる。不完全で、『何か』に徹しきれず、また同じことを繰り返し繰り返し続けてしまっても。そんなメッセージを、あからさまな人種差別にひそかに隠しながら投げかけている映画です。
