ただ、僕はどちらかというと小説からではなく映画から入る方(というより、小説から入って、ネタがバレて映画を観た時点では興ざめしたのが原因)なので、そのへんの見分け方が難しい。どの映画が、小説等を読んでからの方が面白いか。どれが映画を観た方がより小説に味わいを持たせて読むことができるのか。
やはりこの映画も、『シリアナ』と同じく、半世紀近く前の実話とはいえ現代にもつながる社会問題を反映した映画ですので、事前に当時の背景とか状況とかの情報を知識として知っておく必要があると思います。
当時のアメリカの報道は、ソ連との冷戦の真っ只中であったため、言論の自由はあってなかったようなものでした。社会主義や共産主義を、たった一言発しただけで、似通った活動をしただけで、『赤狩り』にあい、差別の対象になってしまいました。
思想も主義も人それぞれ。けれど、敵対する国と同じ思想・主義だから、持つことは一切許されず、また、そういう体制を批判し報道することも許されない。結局、ありのままの事実を伝えられず半ば捏造に近い状態が、この国の当時の『報道』の『常識』となってしまった。
『自由』を謳っている国で、『自由』を理不尽な形で制限される現状に立ち向かい、戦ってきたエド・マロー。広告会社からも社長からも見放され、孤軍奮闘する中でも、彼は、「本当の真実を報道すること」「視聴者に対し、常に問題意識として持ってもらいたいということ」を常に考えながら、自由を制限する勢力に対し、戦ってきた。
現代の、腐敗しかかっているテレビ文化にも、そっくりそのまま当てはめられています。
視聴率や広告費目的で、如何に面白おかしくテレビを製作していくか。視聴者が本当に求める情報は二の次で、ほとんどエンターテインメントだけを追求していく。パソコンと違い、テレビは老若男女全ての人に愛されているメディアだし、映像と音声で構成されるから、他メディアに比べ、何よりもまして『真実』を伝えやすいメディアだと思います。
確かに難しいと思います。報道の内容如何で、危険思想扱いされ、政治家から睨まれ、それが社会問題に発展して広告収入減り、テレビ局としての経営危機に陥ってしまう可能性もある。でも、「会社は株主のものか? 社員のものか?」という理論と同じように、「テレビは広告主のものか? 視聴者のものか?」といったら、間違いなく視聴者のものでしょう。だからこそ、今、というより、今後も、『報道のあり方』については、議論し続けるべきなんだと思います。
ジョージ・クルーニーのイメージって、シュール&クールですので(僕の中では)、意外(←失礼)にも、こんな社会派映画を作られるとは考えていませんでした。
そういう意味で言えば、『シリアナ』も同じようなものですね。
全編を通してモノクロで、しかも、マッカーシー上院議員が登場するシーンは、当時の『そのまま』の映像を使うことによって、臨場感を出す。本当に、1950年代の映画を観ている様な感覚でした。
Q. 誰かを愛するために、必要なこと、大事なことは何ですか?
A. 自分自身を好きになること。
自分を愛せないのに、どうやって人を愛することができる?
自分が愛せないものを、どうやって人は愛することが
できる?
簡単なようでいて、実はとても難しい。「自分を愛すること」。
ナルシストとは全く違う、ありのままの自分を受け入れ、ありのままの自分を表し、ありのままの自分を労わること。
一番身近にいるのに、一番遠くに見える人間・『自分』。もしかしたら、永遠に見えないのかもしれない。「こうありたい自分」「こうあるべき自分」のオブラートに隠されて。
でも、ありのままの自分を見つめるために、後押ししてくれる人がいたら?
「自信を持って」と頭ごなしに言われるより、「あなたは素晴らしい」と、ありのままを受け入れて言ってくれる人がいたら?
こんなどうしようもない自分でも、自分を受け入れてくれる、真実の自分を見つめてくれる人が傍らにいれば、僕だったら、多分泣くだろう。
「僕のことを、本当に分かってくれる人がいたんだ」と。「ありのままの僕でいいんだ」と。
それに気づかせてくれる人こそ、人生の『天使』なのかもしれない。
全編がモノクロのパリの街の一角で起きた、決して壮大ではないけれど、「人が人として生きるうえで、本当に大切なものは何か」ということを問いかけ、受け入れる映画です。
眼で見えることしか真実として受け入れない、目先のことしか考えない、まるで自分は世界で最も不幸な人間だと思えて仕方が無い方に、是非観ていただきたいと思います。
真実は、決して眼に見えるものだけとは限らない。
美しいパリの街をモノクロで撮影したのは、単にパリがモノクロの方がずっと映える、というだけでなく、「真実を見て欲しい。もっと眼を凝らして、もっと視野を広げて見て欲しい」というメッセージが込められているのではないのでしょうか。「世界は美しい」「でもその美しさは、観る人それぞれ」。多分、観る人にとってこの映画の『色』は、観る人の分だけあるのでしょうから。
同じように、もっと自分を見つめて欲しい。
変に色に塗りたくられた自分ではなく、ありのままの『自分』という色に染められた『自分』を。難しいことだけれど、でも、「あなたなら出来る」。
27歳の誕生日を迎え、未だ成長できていない自分だけど、一歩踏み出すことが出来るのは、この世でたった一人、『自分』しかいない。
リュック・ベッソン監督の最新作は、まるで他人事とは思えない自分にとって、何物にも変えがたい珠玉の映画だと思います。
「長いものには巻かれろ」という諺の如く、現在の社会は利益創出の為に、ある時は大きな勢力や権力に従い、ある時は苦しんでいる人の目の前で見て見ぬ振りをする。
『シリアナ』で観た様な、『腐敗』と『陰謀』が先導している世界の中で、誰よりも何よりも、人間を愛し、須らく人間が人間として生きるために労力を惜しまない、本当の意味で『強い』妻。同時に、強く夫を愛し、自分の正義に夫も巻き込むことを嫌い、殆ど自分一人の力で世界の問題に立ち向かう妻。
その妻が陰謀によって殺され、「自分に対して」と「人間に対して」の愛の深さを知ったとき、夫は、本当のことを理解する。妻が何を求めていたのか。妻が何を大切にしていたのか。
これは小説ではありますが、まるで本当に、世界の裏側で今も尚『腐敗』と『陰謀』が起こっているような、いや、起こり続けているような、そんな錯覚を覚えます。だからこそ、心にズシリと重く、苦しい気持ちになるのです。
この映画は主にサスペンスを描いているので、世界の『陰謀』や『腐敗』の色が強く出ているからこそ、「夫婦の愛の描写は?」と、首を傾げたくなるのですが、逆にサスペンス色が強いからこそ、要所要所に隠されていた妻の軌跡が垣間見え、雪のようにしんしんと心の中に降り積もっていく。それが大きくなり、聖母のような妻の壮大なる愛が一つに巡りかえる。
「君の秘密がわかったよ。君のことが理解できた。
家に帰るよ、君のもとへ」
妻が追い求めた真実と、妻がくれた壮大な愛を理解したとき、夫にとって、本当の意味での安息を見つけることが出来る。ようやく、本当に『夫婦』として、一つに結ばれる事が出来る。
あまりにも苦しく、切なく、辛く、でも強く引き込まれ、心打たれる映画です。
自由気ままで、無味乾燥な今を生きていると、時折『過去』が恋しくなる時が来る。漠然として見えない未来より、華やいでいた過去に眼を向けがちになってしまう。
でも。いざ過去を追い求めて旅立っても、時々思う。「何やってんだろ、オレ」。
昔取った杵柄とか、栄光とか、幸せとか、そんなものが戻るはずがないのに、何か『無駄に』ともいえるくらいに過去を追い求めたのは何故だろう? その後で必ずといっていいほど後悔の念が募るのに、それでも飽きずに追い求めるのは何故だろう?
『後悔』が募る理由は、自分が過去にすがったままでいること。そして、周囲に『過去』を求めているのに、周囲は皆変わってしまって、『現在』を謳歌していること。「自分だけが変わっていない」という気持ちが、どんどん自分を劣等感に追いやってしまうところに、この映画の主人公と自分とをタブらせて観ていました。
しかも、「過去のままの自分」「変化を拒んだ自分」像というのを、『動かない』ことで表現したビル・マーレイは、ある意味すごいと思いました。実際、この映画はほとんどのところで『動き』がなく、一部の観客にはものすごい退屈に思えたりもします。
尚且つ、終わり方があっけなく、「えっ! これで終わり!? 何か解決したの?」と思ってしまうようなラスト。もうこの映画は、観る人の感性や考えにほぼ100%委ねた形の映画だと思うのです。
だから、この映画を観た序盤では、本当にヤキモキしました。彼はいつになったら行動を起こすのだろう? いつになったら、主人公らしい振る舞いをするのだろう?
『主人公らしい振る舞い』という言い方も変ですけれど、でも、多分、この映画にっての主人公の振る舞いこそが、『動かないこと』なのでしょうね。そして、『動かないこと』が、『未来』のために『現在』を大切にする、という伏線につながる。
読み解いていくと、何とも浅いようでいて奥の深い映画だったりします。
未来に向かって生きよう! なんてスローガンを掲げたところで、所詮人は人。過去を追い求めたい時の一度や二度くらいはあるものです。
そういう人にこそ、観ていただければと思います。本当に自分の追い求めた先に、一体『何』があるのか。きっとその場で答えは見つけられなくても、どこかに答えはあると思いますよ。
相対するスコットランド(イギリス)軍、フランス軍、ドイツ軍の陣営の中間にある無人地帯では、今日も銃声と爆撃が轟いていた。
年に一度のクリスマス・イブ。『家族に会いたい』というささやかな願いすら聞き入れることができない過酷な戦況。
各陣営の兵士たちだけでも、ほんのひと時のクリスマスを祝おうとしたその時、高く低く、冬の凍てつく透き通った空気を包み込むように、テノールの歌声が響く。
血と泥にまみれた肌。凄惨な戦況のみを目の当たりにした荒んだ眼。死臭と硝煙の匂いに充満した戦地。何もかもの『感覚』を失いかけていた戦士たちに与えられた、それは神の祝福とも言うべき調。
しかもその歌声の主が、昨日まで殺し合い、もしかしたら明日自分が命を奪っているかもしれない、敵国のテノール歌手だったとは。
銃声と爆撃の音に満ちた世界は、今宵、音楽と歌声に満ち溢れる 。
戦場に響く、至福の境地とも言うべき歌声。
『戦場のピアニスト』とはまた別の、『音楽』によって戦争という荒んだ世界の人々の心に希望を満たす物語です。さすがにこの映画は、何よりも『音』に焦点を当てていますので、余計なBGM等はなく、本当に素のままの、歌声だけを響き渡らせています。それがより周囲の『静寂』を深く広く浮きぼらせて、観ているこちらとしても、背筋が凍るくらいの感銘を受けました。
この物語は史実を元に作られたものなので、第一次世界大戦中、クリスマス休戦として、至る所でスコットランド軍、フランス軍、ドイツ軍の交流が成されていたそうです。
しかし、やはり戦争は戦争。上層部がその行為を許すはずが無く、夢が覚めれば銃を向き合う敵同士。また、敵国との交流は反逆罪として、ことごとく地方に追いやられたケースもあるそうです。
でも、彼らにしてみれば、この一夜限りの聖夜は、きっと忘れられないものとなるでしょう。
痛みも、辛さも、何もかも忘れることができて、本当に自分にとって、何が一番大切なのか、再確認することができたのですから。
