まず、『ゾディアック』という名前の響きが大好きだということ。この映画に興味を持った第一歩です。凶悪犯罪者、もしくはそれに感化された者が、畏敬を以ってつけたような名前。ただ、既にスイス製のウォッチの名前として存在していたり、黄道十二宮を意味しているというのは不勉強でしたが。
未解決の殺人事件を扱った映画、ということで、当初はジェイムズ・エルロイの原作のフィルム・ノワール『ブラック・ダリア』のような作品を想像しておりました。が、事件の年代が1960年代~1970年代だからか、『ブラック・ダリア』のようなコテコテのフィルム・ノワールではなく、ややポップ・カルチャーを取り入れた感じに仕上がっているように感じました。一方、物語の主流は『ブラック・ダリア』と同じ。謎が謎を呼ぶ殺人事件をきっかけに魅了され、没頭し、ついに周囲が見えなくなってしまうまでに引き込まれる主人公達の行動や思考を描いています。
両作品を比べて、明らかに違うところは、独自の解釈を入れているかいないか。『ブラック・ダリア』は、ジェイムズ・エルロイ独自の解釈を取り入れた犯罪サスペンスでした。決定的な犯人が存在するとはいえ、フィクションの領域を出ない『ブラック・ダリア』に対し、『ゾディアック』は、原作者ロバート・グレイスミスが、事件発生から本を『ゾディアック殺人事件』の一連の流れをまとめた本を出版するまでの、過程を描いた作品になっています。
サスペンス映画ならば、たとえフィクションでも確固たる犯人像が描かれている作品がいいのかどうか、それは分かりません。描き方にもよりますし。
『ブラック・ダリア』は、その複雑すぎる物語の展開からか、主人公達が事件に没頭する過程が微妙に中途半端に思えましたし(唯一すごい執着をしていたのは、アーロン・エッカートが扮するリー・ブランチャード刑事くらい…)、登場人物の本当に細かい動きまで目を見張っていないと、流れが掴みにくい、というところが難点に思えました。
一方の『ゾディアック』は、事件の捜査の過程で複雑な展開がありつつも、概ね一連の展開は理解しやすかったですし、登場人物が如何にして事件に没頭し、そして壊れていくかというのも、はっきりと描かれているように感じました。
結局のところ、形式上は、『ゾディアック殺人事件』という未解決事件を、ロバート・グレイスミスの原作を元に描いただけ、という形になってしまいましたが、映画の作品としては、僕は『ゾディアック』の方が好きです。
ただ、個人的に残念なのは、もうちょっと『暗号文』と『その解読過程』に焦点を当てて欲しかったな、ということ。まぁ元々、デヴィッド・フィンチャー監督が「連続殺人事件の謎を知ろうと、犠牲を払ってでも真実を追い求める男達を執念を撮った」とコメントしているように、主人公達の行動や思考に焦点を当てている映画ですので、彼にとって『暗号』は、映画に奥行きを持たせるツールに過ぎなかったわけですね。けれど、僕個人としては「未解決事件を描いた映画は皆同じ」と思いたくないわけです。
同じ未解決事件を描きながらも、『ゾディアック』という作品そのもののサスペンス性を醸し出すためには、やはり『暗号文』についてもう少し掘り下げて欲しかったところです。
その中でも更に、『ゾディアック』のように、「観客にも謎解きに参加させる」という形のものが。現在、僕がかかわっている仕事も、『謎解き』の要素が多く、しかもわりとその仕事を『楽しんで』こなしているので、その影響なんでしょうか……
20余年という歳月を、2時間半という僅かな時間に絞った作品ですので、観る者に推理する間すら与えずただ物語が過ぎていくのか、と思いきや、別にゆっくりとした展開でもないのに、わりと物語の展開を推理する時間が与えられました。
でも結局、物語についていくだけで、自分の頭で完全に推理することはできず…… 僕の頭は、全然まだまだです。修行が足りません。