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2024/04/19 09:43 |
[Review] バルトの楽園
バルトの楽園まさか映画館で、ベートーヴェンの交響曲第九番を聴くことができるとは思わなんだ。


戦場のアリア』と同じく、音楽の力によって戦争で荒んだ人々の心の渇きを潤し癒す、事実に基づいて作られた映画です。『戦場のアリア』では、音楽が、憎しみ合うはずの兵士達が、国境を越えて親交を深める発端となったのに対し、『バルトの楽園』では、音楽が国境を越えて結ばれた友情の絆の集大成になっています。
日本でも、ベートーヴェンの第九はもはや聴いた事が無い人はいないと言えるほどの有名な交響曲になっていますが、まさかこんなところに、日本の中での交響曲第九番の発端があったとは。いやはや、日本の歴史は奥が深い。というより、単に僕が勉強不足なだけなんですけどね(笑)。

こういうことが現実になったのも、捕虜のドイツ兵を、さも捕虜として当然のようにぞんざいに扱うのではなく、人としての尊厳を重要視し、普通の人となんら変わらない生活基盤を敷いた、当時の松枝所長の施策あったからこそ。それは、戊辰戦争の折、会津若松出身だった彼が、其の戦いに敗れ明治政府から屈辱的な辛酸を舐めたその経験があったため。たとえ自分が捕虜をまとめる役割を持ったとしても、捕虜達にはそんな思いはさせられない、たとえ生まれも育ちも全く違っていても、同じ人間なのであれば、という考えがあったのでしょう。
また、この映画には、色々な角度で辛酸を舐めた登場人物が出てきます。先ほどの、戊辰戦争で屈辱的な思いをしてきた松枝所長をはじめ、戦争に敗れ捕虜として苦しい日々を送ってきたドイツ兵、第一次世界大戦で大切な人を失った家族、そして、敵対する国柄同士の間で生まれ、生まれたときから差別の対象になった子供など。
それぞれ、自分たちの『楽園』を探し当てようとするも、戦禍の中で見つけ出すのは不可能に近い。ならば、いっそのこと、自分たちの手で『楽園』を作ってみようではないか。それぞれの思いが交錯して、やがて思いは一つになり、『ベートーヴェンの第九』という形に仕上がったのではないかと考えます。

楽園を『らくえん』と呼ばずに『がくえん』と呼ぶのも、そういう意味があるのかもしれませんね。


また、建築や農業、音楽、印刷、そして、サッカーや器械体操といった音楽も、ドイツ兵捕虜から取り入れたものが多いんだそうです。当たり前に用いていながら、実は殆ど知らないそれらの技術の伝来。そういう受け継ぎの魂をかみ締めながら、色んな技術に触れ合っていくのもいいかもしれませんね。

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2006/06/17 23:06 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie

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